「国際大学ランキングはまさに病気」
ランキングでトップを占める大学が英語圏にあるのも、至極当然の成り行きである。英国にしても米国にしてもランキング上位にいる大学は授業料が高い。とくに、英国の大学は留学生には通常の3倍の授業料を払わせている。
21世紀の初めにTHE(Times Higher Education)とQS(Quacquarelli Symonds)が世界の大学ランキングを発表した直後に授業料の値上げを敢行した。その結果、当時は大学の年間予算の10%ほどだった授業料収入が最近は50%を超えるまでに膨れ上がったのである。これは、当時のブレア政権による財政改革の一環だったと思う。それに米国の私立大学は便乗したのである。
ハンブルクで3日間にわたって行われた学長会議で、私は世界の大学が商業化の波に大きく流され始めていることを知った。そこでの私たちのテーマは、「アカデミック・フリーダム」(学問の自由)と「ユニバーシティ・オートノミー」(大学の自律)をどうやって守っていくかであった。あるフランスの大学の学長が、「国際大学ランキングというのはまさに病気だ」と吐き捨てるように言ったのが、私の印象に残っている。
ランキング上位の大学は富裕層の関心を引いている
2004年にはTHEの世界大学ランキングが公表され、英国と米国の大学が軒並み10位以内を占めるが、これは前述したように英国の大学改革戦略の一環だった。英国の大学はほとんどすべてが国立で、自国の学生の授業料は政府が肩代わりをしている。この制度はEU加盟国にも適用されるが、他の諸国、とりわけ富裕層が登場し始めたアジアの学生には適用されない。
英国は2006年に大学の授業料の値上げを始め、留学生には通常の3倍の学費を払う義務を課した。つまり、世界大学ランキングは英国の国立大学の財政を国家から切り離す手段であったわけだが、日本はそんなことも知らずにこのランキングを正直に受け止め、日本の大学のランクが低いことを高等教育の後れと決めつけ、大学改革の理由とした。
「世界大学ランキングの100位以内に10校を」という目標を立てたのがそのいい例であるが、ランキングを高める仕組みも、ランキングを高めた結果受ける恩恵も十分に理解しないまま、掛け声をかけてもうまくいくはずがない。米国のランキング上位の大学はほとんどが授業料の高い私立大学であり、富裕層の関心を引くことを目的としている。
一方、日本の大学は米国に比べて私立大学の授業料はたいして高くなく、留学生に日本の学生並みの授業料しか求めず、さらには国費で招聘する留学生も多い。まったく国策と大学改革が整合していないのである。