好きなことを仕事したい人へ
「好きなこと」を「仕事」にして生きていくためにはどうすればいいですか?
ラジオ番組などの企画でリスナーからの相談を受け付けると、思春期の学生さんからよくそんな質問をもらう。
おそらく彼らからは、自分は「好きなこと」を「仕事」にできた人間に見えていて、そこに至るまでの道筋を知っていると思われているのだろう。
確かに音楽は好きだし、現在その音楽を生業として生活ができていることは幸運にも事実だから、今までの経験を語ることはできるかもしれない。
だが、それらは彼らの背中を押すような都合の良い“答え”にはならないとも思う。
「好きなこと」を「仕事」にした人たちが向き合う日々は、必ずしもキラキラとしたものではないと思うからだ。
あくまでも「仕事」とするならという前提で話を聞いてほしい。
社会生活を営む糧(=わかりやすく言えば、金銭であったり、立場であったり)を得る手段として、あなたの「好きなこと」を用いたいのなら、という前提だ。
容赦のない他者の評価に晒される
「仕事」というものはその性質上、外の評価を受けて初めて成立する。
パンが売れるのは、そのパンがお金を支払うに値するほどおいしいだろうと買う人に判断されているからだ。だからシンプルに考えれば、こちらの存在だけで「仕事」は成り立たない。
いつも相手がいる。どんなことでも何かを「仕事」にするためには誰か他者の評価を受けないといけない。
そのルールの上であなたの「好きなこと」を「仕事」にするということは、いったいどういうことなのだろうか。それはつまり、あなたの「好きなこと」を容赦のない他者の評価に晒すということだ。
「それがどうした、望むところだ!」と言う人もいるだろう。
「好きなこと」はそのままその人の「得意なこと」であることも多く、少なからず自信がある場合がほとんどだ。また「好きなこと」には誰だって情熱を注ぐから、その人のアイデンティティーに深く関わっていることが多い。
音楽で言えば「音楽をしているときが一番自分らしくいられる」とか「音楽とは私の人生そのものだ」などというセリフは、音楽を志す人たちからよく聞かれる。
揶揄しているわけじゃない。自分だって同様のことを言ってきたと思う。人生において熱意を持って向き合えるものを見つけられたことは端的に言って幸運だ。
だが、そのことと、評価に晒されることに耐えられるかどうかとは、別の問題だ。