※本稿は、スージー鈴木『EPICソニーとその時代』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
ロックを代表し、牽引した80年代のEPICソニー
「80年代のEPICソニーを一言で言えば?」と問われると、私を含めた同世代のEPICソニー・ファンは「ロックだ」と答えるだろう。「日本初のロック・レーベル」と答えるかもしれない。
背景には、CBSソニー時代に、レコード大賞などの「賞レース」にまつわる仕事が嫌で嫌でしょうがなかった丸山茂雄の意志があった。その結果、初期のEPICソニーは、賞レースはもちろん、歌番組にも消極的になり、「(音楽をゆがめる)テレビはないものと思え」が合言葉になっていたという。
また、ニューミュージックの香りが弱いのも、EPICソニーの特徴と言える。それでも、EPICソニー初のヒット=ばんばひろふみ《SACHIKO》(79年)は、ニューミュージックの香りがぷんぷんするが、それ以降「EPICニューミュージック」は、完全に鳴りを潜める。
歌謡曲のアンチテーゼとしてのロック。ニューミュージックのアンチテーゼとしてのロック。それは「歌謡曲のCBSソニー」や「ニューミュージックの東芝EMI」のアンチテーゼとしてのロック。
そんなロックを代表し、牽引したレコード会社、EPICソニー──。
渡辺美里はロックなのかアイドルなのか
しかし、話をややこしくするようだが、ここで、EPICソニーの代表選手の1人を「ロックじゃない」と息巻く少年に登場してもらう。少年の名は「ラジヲくん」。何を隠そう、私が著した『恋するラジオ〜Turn on the radio』(ブックマン社)という「音楽私小説」の主人公だ。第3章「早稲田のレベッカ(1986kHz)」より。
しかしラジヲは当初、レベッカや渡辺美里を認めていなかった。いや、実際は「認めてはいけない」と思っていた。「あれはロックじゃないから」。「ロックか、ロックじゃないか」──今となっては笑い話となるが、当時の音楽少年にとっての評価軸として、それはとても切実なものだった。一種の踏み絵のように。そして、ラジヲなりの評価算定結果として、レベッカや渡辺美里は「ロックじゃない」と結論付けられたのだ。なぜならば、音楽は「ロック」っぽいけれど、顔がアイドルみたいに可愛いじゃないか。可愛い女の子は「ロック」じゃないんだよ。