歌番組嫌いが生んだミュージックビデオ
MV(ミュージックビデオ)の存在も大きかったですね。EPIC・ソニーでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を見た丸山さんが「これで行く!」と方針を固めた。我々にとっては、テレビ局に頭を下げて歌番組に出なくても、映像表現できるツールを手に入れたということでした。
小坂洋二氏の発言(『日経エンタテインメント! 80ʼs名作Special』)。当時のEPICソニーの楽曲を思い出そうとすると、その楽曲にまつわる映像も併せて思い出される。EPICソニーの楽曲プロモーションの最前線に、映像が置かれていたからだ。
また、この小坂発言は、前項の「テレビはないものと思え」という合言葉ともつながってくる。ここで言う「テレビ」は「歌番組」のことだった。そして、テレビの電波を活用する歌番組以外の方法として、当時的に言えば「PV」、現在の「MV」があった。
「ビデオ班」を立ち上げ、EPICソニーの社員とミュージシャンが、二人三脚でPV制作。そこでできた映像を、全国で行われる「ビデオ・パーティ」で地道に浸透させる─―。派手派手しく見える80年代EPICソニーの成功の陰で、このような地道で草の根的な取り組みが進められていたのだ。
大江千里《十人十色》(84年)、佐野元春《Young Bloods》(85年)、LOOK《シャイニン・オン 君が哀しい》(85年)、大沢誉志幸《Dance To Christmas》(88年)──すべて、メロディと映像がタッグを組んで浮かんでくる。
映像戦略における重要人物が残した作品
ここでEPICソニーの映像戦略におけるキーパーソンを1人、紹介しておきたい。坂西伊作。先の「ビデオ班」の先頭に立ってカメラを回し続けた人だ。ウェブサイト『TOweb』における坂西氏の紹介文(16年)。
坂西氏はエピックソニーの映像ディレクターとして、岡村氏をはじめ、TM NETWORKやエレファントカシマシ、JUDY AND MARY、真心ブラザーズなどのPVを手がけており、日本におけるプロモーションビデオの原型を作ったひとりといえる人物だ。1988年からテレビ東京で放送されていたエピックソニー制作による音楽番組『eZ』でもほとんどの映像を制作し、PVがお茶の間に認知された黎明期の一端を担った。ドキュメンタリーの質感がある作風は多くのファンを今なお魅了し続けている。
(TOweb「岡村靖幸音楽活動30周年記念上映 神保町シアターで1週間限定レイトショー『Peachどんなことをしてほしいのぼくに』」)
『eZ』という名前が異常に懐かしい。80年代EPICソニーの勢いに乗って、先の「ビデオ班」の地道な取り組みを、地上波に乗せたような番組で、都会的で現代アート的な空気感の中で、ただただEPICソニーのPVが流し続けられるという、ちょっと変わった、でも、今となっては忘れられない番組だ。
坂西伊作については、個人的には、『TOweb』の記事のタイトルに記されている岡村靖幸の主演映画『Peach どんなことをしてほしいのぼくに』(89年)の監督としての印象が強い。岡村の音楽にどっぷりとハマっていた大学4年生の頃に、私がリアルタイムで観た映画。