オタク消費であれハイブランドであれ、コアなファンがいて価値の訴求がその内部で調達されている場合には、実際に購買が動いている。そこで重要なのは、SNSなどで結ばれている比較的少数のセグメントの中で共通する価値観の存在である。それは「文化」と言い換えてもよい。

日本は「生み出す能力」を育てる発想ばかりだが…

今はモノがあふれている時代である。ただ生きていくためだけであれば、ほとんどの人にとって自分が今持っているものだけで十分だろう。しかしそれでは消費は拡大しない。経済合理性ばかりを追求していくと、無関心化が進行し、経済は衰退する。それを補うのが新しい価値観の獲得である。

同じジーンズでも作り手の物語に心惹かれれば、「服は着られればいい」という無関心的合理主義を脱して、安価な定番品の代わりに高価なブランドジーンズで満足を得ようとする。買い手に新たな価値観、新たな関心を持ってもらわなければ、作り手に未来の展望は開けない。

新しい価値観とは、新しい文化である。

オタク消費でもハイブランド通販でも、局地的な消費の拡大を支えているのは、実は広い意味での買い手の「文化」なのである。

日本ではしばしば、「日本経済が衰退している原因は、すぐれたモノをつくる人材、アイデアを持った人材が出てこないからだ」といった説が唱えられる。それに対処すべく、「小学校からプログラミング能力を鍛えよう」「英語力を身につけよう」といった教育改革が提案され、実行されている。

だが、そうした発想は本当に正しいのだろうか。

日本では社会全体が作り手側の視点に固着している。学校も企業も、英語にせよプログラミングにせよ、「生み出す側の能力」ばかりを育てようとしている。それは日本が工業立国を目指した、高度経済成長期の発想である。

ユーザーの要望に応えるだけでは成長に限界がある

しかし経済には、つくる側の問題だけでなく買う側の問題もある。

買う側を育てなければ市場は広がらず、経済も伸びない。消費の成長と経済の成長は表裏一体である。

高度成長期には「いいモノをつくれば、みんなそれを買うはず」という、プロダクトアウトの考え方が主流だった。当時は実際に作り手主導で流行が作られ、市場が拡大していったかもしれない。しかしマーケティングの世界でプロダクトアウトが否定され、「消費者側のニーズを汲みとって商品開発していく、マーケットインこそ重要」と言われるようになって久しい。