モノ不足の時代に従順だった消費者が、モノ余りの時代になってどんどんわがままになっていった。作り手はもはや消費者をリードすることができなくなり、市場ニーズに即した商品を開発していくことに専念するようになった。
しかしユーザーの要望に応えるマーケットインだけでは成長の限界があることを、企業は理解すべきだろう。
マーケットインによって市場が拡大するのは、消費者が新たな価値観を獲得して成長を続けるときのみである。
今日のようにユーザーの無関心化が進むと、ユーザーのニーズをいくら調査しても、めぼしい答えは見つからなくなる。そうなればマーケットインは効力を失う。
新たな価値観を育てる努力をしてこなかった
日本経済の根本的な問題は、実は作り手の能力不足とは別のところにある。
日本はバブル崩壊以降、消費者を文化的な面で育てることに完全に失敗した。というより、育てる努力すらしないできた。企業は消費者の関心の拡大、新たな価値観の獲得に注意を払ってこなかった。実はそれこそが日本経済衰退の真の原因だったのではないか。
少なくとも今のマーケットの実態を見ていると、買い手側の文化的成長の停滞が市場の停滞に強くリンクしていることが、如実に感じられる。
教育学者の神代健彦は、その著書『「生存競争」教育への反抗』で次のように主張している。日本では長年、生産能力の強化・効率化ばかりが訴えられてきた。しかし、モノ余りの時代は、例えば美的なものを鑑賞する感性を養い、「きれいなものが欲しい」といった気持ちが自然と湧いてくるような、消費者としての文化を育てるべきだった、と。これは、的を射た指摘だ。
「ユーザーの無関心化」を生む遠因にも
学校が「役に立たないから」といって美術の時間を英語に置き換えたり、国語の時間をプログラミングに置き換えたりすることは、子供の感性や教養を殺す教育を志向することであり、消費者としての日本人の可能性を殺すことなのではないか。
われわれがこの連載で繰り返し指摘してきた「ユーザーの無関心化」も、実はそうした「作り手優先思想」に遠因があったと言っていい。
企業は本来、買い手の間に新たな文化を育て、発展させることにコミットしなければならない。その努力を怠れば、市場そのものがシュリンクしてしまう。
今の時代は多くの分野で市場のシュリンクが起きているが、内部にいる関係者たちはその真の原因に思い至らず、頽勢から脱却できないままでいるように見える。