これまでの広告設計の常識は的外れだった?

ハイブランド品販売に特化したサイトの対極には、多くの一般人が日常的に利用する、アマゾンに代表される大手通販サイトがある。

そこではユーザーの購買行動データを分析し、それぞれの価値観に沿った商品をリコメンドすることで、反射的な購買行動を誘発するアプローチが追求されている。そのシステムは、熟考させ納得させて買わせるのではなく、「いいな」と感じたその瞬間に購入ボタンを押させることにフォーカスが置かれている。

ハイブランド特化型サイトと大手通販サイトではターゲット層も扱う商品層も異なる。しかし共通しているのは、従来の広告戦略において最重要視されてきた「商品(もしくはブランド)の価値理解」というプロセスを、購買導線の中から省いていることにある。

つまりハイブランド特化型サイトにおいては、「価値理解はファッションショーやメディアでの露出、インフルエンサーによる投稿等を通じて、サイト外で済まされている」という前提がある。

大手通販サイトでも、それまでユーザーが知らなかった商品の価値を理解させる努力は放棄されている。この場合は必要な価値理解が別ルートによって果たされているわけではなく、ひたすら購入導線のショートカットに特化している。つまり「価値理解は必要ない」という姿勢だ。

こうした通販サイトの現状が提起するのは、「購買導線の中に商品価値理解のステップを含めなければならない」という広告設計の常識が、実は的外れだったのではないか――という疑念である。

ハイブランド市場にも広がる「サブカル消費」

彼らが購買導線の中から価値理解のステップを外したのは、データ分析を通じて「そうした過程は不要である」と結論したからだろう。

広告関係者の間では「広告設計における商品の価値理解がいかに重要か」が繰り返し語られてきた。しかしそうした理解はブランド品においても日用品においても、間違っていたのかもしれない。

では広告や通販サイトの代わりに商品の価値理解を担っているのは何なのか。

ハイブランドが今売れているのは、「他人に差をつける」という過去によくあった顕示的消費ではなく、ブランド独自の価値観を中心にマーケットが回っているからである。その証拠にハイブランド商品も、一部を除いてはかつてのような大きなロゴマークをつけなくなっている。そこでは「価値を理解する者が自らの満足のために購入する」という、サブカル(=オタク)消費と同じ文脈で市場が成立している。

ルイ・ヴィトンのショップ
写真=iStock.com/TkKurikawa
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