あまりに自由だと、自由から逃げたくなる?
ドイツ出身の社会心理学者エーリッヒ・フロムは、第二次大戦中に発表した著書『自由からの逃走』において、「第一次大戦後、世界でもっとも自由で民主的と言われたワイマール共和政の下で、ドイツはなぜナチスの台頭を許したのか」という疑問について政治学・社会学的な分析を行った。
著書においてフロムは、「人はあまりにも自由な立場に置かれると、自分から進んで誰かの指示に従いたがるようになる」と指摘し、これを「自由からの逃走」と呼んだ。
フロムが見出したのと同じような現象、すなわち「『選択の自由』が確立された結果、逆に『選択からの自由』が求められるようになった」という状況は、2020年代の今、音楽や動画鑑賞など文化、コンテンツのレベルで日常的に見られるようになっている。
かつて音楽がアナログレコードやカセットテープで聴かれていた時代、私たちはその媒体に収められた曲を、収められた順番で聴くしかなかった。とくにカセットテープの最後の曲などは、その前の曲すべてを聴かねばならなかったから、なかなかたどり着けなかったものだ。
約30年かけ「好きな曲順」を実現した
1980年代になってCDが登場し、音楽の主要メディアがアナログレコードからCDに替わると、ボタンひとつでスキップが可能になるなど、聴き手の「選択の自由」が広がった。
2000年代になると、AppleからiPodとiTunesが登場した。人々は自分でプレイリストを作成して好きな順番で聴いたり、オンデマンド形式で曲を一曲ずつダウンロード購入したりすることも可能になった。聴く必要のない曲をアルバムとして抱き合わせ買いする必要もなくなったので、聴き手の選択の自由度は一段と高くなった。
2010年代になると、SpotifyやApple Musicなど、サービスや商品の利用期間に応じて料金を支払うサブスクリプションモデルが普及していく。このサービスは、好きな時に好きな曲を、好きな順番で聴くという、完全な「選択の自由」を実現したのである。