ユーザーの苦痛を低減させる工夫

では、そもそもなぜレコメンド機能は必要になったのか。それは「選び放題」というサービスを全面的に享受できるほど、ユーザーの側に「自分の手でコンテンツを選ぼう」という強い意欲や指針がないことの表れであると考えられる。前回記事で述べた通り、ユーザーは選ぶことが面倒になっているのである。

ストリーミングサービスでも、もしサービス提供側の手助けなしにユーザーが独力で自分好みの未知の楽曲を探そうと思えば、多くの手間と努力が必要になってくる(ひとつひとつ「検索」することは、もはや非常に面倒な行為である)。

Spotify RadioやDiscover Weeklyでは、それぞれのユーザーの好みの曲を中心としつつ、その選好の周辺の楽曲も「緩く」混ぜることで、ユーザーの苦痛を低減しながら音楽体験を多様化する工夫が施されており、それが現在、ユーザーが新たな好みの曲を発見するためのもっとも有力な手段になってきている。

それは機械学習といった新しい技術が可能にしたサービスだが、サービス提供側がそこまで複雑なシステムを作ってサポートしなければ、ユーザーは今や、新たなコンテンツを体験すること自体が困難になっていることを示しているのかもしれない。

電車の中で音楽を聴く女性
写真=iStock.com/NanoStockk
※写真はイメージです

「好きなものだけ」では進化の余地がない

ネット上の記事には、「レコメンドの鍛え方」と題して、自分の好きな曲やアーティストだけがレコメンドされるようなテクニックを指南しているものも見られる(一部の若者の間では「機械を調教する」とも呼ばれている)。

「自分が好きなものだけを聴き続けたい」と考える気持ちは分かるが、かつてのオンデマンド志向と同じく、失望に終わるだろう。「自分の選好をいかに強く満たすか」にベクトルを集中させ、ノイズを完全に排除してしまえば、そこには進化の余地がなくなり、やがてサービスそのものに飽きてしまう。「どんなに好きなものでも、そればかり食べ続けたら飽きてくる」ということだ。

ユーザーが飽きずにサービスに魅力を感じ続けるには、各ユーザーにおけるコンテンツ体験の進化が不可欠であり、そのためには各人の選好に100%従うだけでなく、選好から比較的近いところにあるコンテンツも体験させていく必要がある。

要するに、愛されるサービスになるためには、ユーザーの希望を鵜呑みにしてはならず、適度にユーザーを裏切ることが必要なのだ。

それは冒頭のエーリッヒ・フロムが指摘したような、「究極の選択の自由を与えられると、人はそれに耐えられず選択から自由であろうとする」という、人間特有の心理が生み出した苦肉の策といえよう。

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