まずやってみる、走りながら修正する

打席に立つ、つまり実践をしてみないかぎり、いくら請い願ってもヒットが生まれることはない。だから、あらゆる機会を捉えて打席に立つのが肝心なのである。

たしかに私も、そのための努力だけはしまないようにしてきた。載せてもらえる媒体があるならば、私の場合は新しい漫画作品をドシドシ発表する。

同じ漫画家でも、企画から絵柄までりに練ってからでないと発表しない人もいる。そこはタイプの違いとしか言いようがないが、私はとにかくまずやってみる。何かが違っていたら、走りながら修正をかければいい。

これは他ジャンルの仕事、例えば商品やサービスの開発現場でも同じことが言えるはずだ。

新しい企画を立てるとき、ジャンルにもよるが、海外企業の中には7割程度の出来でもどんどん市場に投入するケースがよく見られる。ちょっとした不具合や若干の不良品が出る恐れがあってもお構いなし。苦情の声を聞きながら、それに沿って改良していけばいいというくらいの発想をする。

対して日本のメーカーは、得てして100パーセント完璧なものを目指し、そこに近づかないうちは絶対に市場へ出さない傾向にあるのではないか。

この考えの違いによって生まれるのは、スピード感の圧倒的な違いだ。モノによってはリリースに数年の差ができてしまったりもするだろう。

「7割主義」のすすめ

私は明らかに「7割主義」のほうだ。企画を立ててだいたい続けられる見込みが立てば、一刻も早く連載をスタートさせてしまう。慎重派から見れば見切り発車としか思えないかもしれないが、それでいい。

三田紀房『ドラゴン桜 人はなぜ学び、何を学ぶのか』(プレジデント社)

なんといっても、リリースする作品数が増えればそれだけ、ヒット作が出る確率も上がるのだ。

その作品がそれなりでそこそこの反響に留まったとしても、それはちゃんと「それなりの実績」にはなる。経験値が増えるし、認知もしてもらえる。あまりに作品発表がとどこおれば、評判の良し悪しという以前に、ただ忘れられていってしまうだけである。

ドラゴン桜』にしたって、続編なんてコケるに決まっていると、きっとあちこちでささやかれていたのではないか。それでも、打席に立ち続けることを信条とする私は、迷わずこれを市場へ投入した。

パート1に続いてテレビドラマ化までしてもらえるような作品になったのは、ひとえに「とにかくやってみた」から

ヒット作が生まれるかどうかは、本当にただその一歩を出すか出さないかに、かかっているのである。

(構成=山内宏泰)
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