リーダーに必要な「教養」はどうやって身につければいいのか。経営共創基盤(IGPI)の冨山和彦さんは「教養とは、鍛練を重ねて習得するもので、うんちくとは違う。しかし日本の大学教育は、単なる知識の詰め込みになっていて、『東大王』も『うんちく王』と思われている。これはおかしい」という——。

※本稿は、冨山和彦『リーダーの「挫折力」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

東京大学
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リーダーなら火中の栗を拾え

激動の時代のリーダーに求められるのが、「いかに悪いことを伝えるか」という能力である。

これが美しい未来なら、語るのはたやすい。例えば政治家なら、「美しい日本」「最小不幸社会」などというのは簡単で、誰にでもいえる言葉である。だが、残念ながら、現在のような有事の時代には、痛みを伴う改革が不可欠。つまり、誰かに「申し訳ないが、あなた方には犠牲になってもらいます」といわなければならない。そこがリーダーとして、最も問われるところである。

例えば国家財政の問題でいえば、今の調子で社会保障給付を増やしていけば、国家財政がもつわけがないことは、国民もバカではないから十分わかっている。生産年齢人口が猛烈な勢いで減少する国で、成り行きの経済成長によって社会保障給付を負担するなど絵空事だ。財政出動したところで一時的なもので、10年、20年という長期的な成長にはならない。

そこで政治家が調子のよい話だけをしても、誰もついていかない。逆に、真実をいわない為政者として、疑いの目を向けられるだけである。

実際のところ、有権者に「財政再建のために消費税を増税すべきか」とたずねると、6割ぐらいは「増税すべき」と回答する。国民は社会システムの変革のために、受け入れるものは受け入れるという姿勢を持っているのだ。

きれいごとばかりでは信用されない

会社も同じである。会社を潰さない。リストラも事業売却もしない。成長もする。福利厚生も行う。そんなきれいごとばかり並べる社長は、不信感を持たれるだけである。机上の計算で成り立っても実際にありえないことは、日々の現実を体感している社員にはすぐにわかる。「そんなおいしい話あるわけない」と思い、社員の心はリーダーから離れていく。

社員にしても、リーダーに比べれば多少楽観視しているとはいえ、おおよそのところはわかっている。「どう考えても、自分はこの会社で給料ぶん働いていない」「会社の今の業績で、給料が払い続けられるだろうか」などと思っている。にもかかわらずリーダーが真実を伏せ、美しい話しかしないのでは社員はリーダーを信じない。

改革のために人の心をつかもうと思ったなら、きれいごとばかりでは通用しない。いまだ多くのリーダーは、きれいごとをいっていれば社員は安心すると思っているが、社員はそうではない。このギャップにリーダーは気づかなければならない。