部数が落ちた『週刊文春』をリニューアルすることは不可能

文春砲が炸裂した二〇一六年下半期の平均実売部数は約四三万部。だが二〇一七年は三六万部、二〇一八年は三二万部と大きく減り、二〇一九年上半期はついに三〇万部を下回って二八万七二四一部にまで落ち込んだ(ABC考査レポート)。

『週刊文春』の取材力が落ちたわけでは決してない。農協を通じて配布される『家の光』という唯一の特殊な例外を除いて、『週刊文春』の部数はあらゆる雑誌の中でトップをキープし続けていた。

雑誌全体の落ち込みが激しかったのだ。

総合週刊誌二位の『週刊現代』は約二〇万八〇〇〇部。「飲んではいけない薬」シリーズが七〇歳に近づいた団塊の世代の心をつかみ、月三回刊にして合併号を増やすことで部数を維持したものの、スクープからは完全に手を引いた。『週刊新潮』『週刊ポスト』に至っては二〇万部を切り、気息奄々たる状態に陥っていた。

部数が落ちた『週刊文春』を大幅にリニューアルすることは不可能だった。

二〇一七年七月には『週刊文春』の表紙イラストを長く担当した和田誠が病床に臥した。当時の新谷学編集長は新たなるイラストレーターを起用せず、過去のイラストの再使用を決めた。和田誠が二〇一九年一〇月七日に亡くなった後も、加藤晃彦編集長はアンコール企画を継続させた。

「記事をウェブに提供」そんなとき沢尻エリカが逮捕された

伊集院静、林真理子、阿川佐和子ら連載陣は固定読者をつかんでいる。雑誌に新陳代謝は必要だが、変えすぎてしまえばこれまでの読者を失う。ジレンマだった。

「紙の『週刊文春』が大きな転換点にあるのは事実です。このまま部数が下がれば、どこかで損益分岐点を下回ってしまう。かといって固定費はそうそう下げられない。原稿料を来週から一〇パーセントカットします、記者も減らします、取材費も削りますとなれば、クオリティが下がって読者離れが進む。そこをどうやって守るか。

『文春オンライン』が二〇一九年四月に週刊文春編集局に入った時、局長の新谷さんは『PVを上げるために記事をウェブに提供してほしい』と言ってきましたが、僕は抵抗せざるをえない状況でした。もちろん、デジタルの重要性については理解しているつもりです。それでも、ウェブに記事をタダで出すことは、紙の雑誌だけを見ればマイナスにしかならないから苦しかった」(加藤晃彦)

加藤編集長は紙の雑誌で収益を上げる責任を負う。『週刊文春』の記事が『文春オンライン』でいくらPVを稼いだところで、紙の数字が下がれば、人員や経費の削減要求が上層部から出かねない。たとえ同じ局内であろうと、記者たちが苦労してとってきたネタを『文春オンライン』にタダで出すわけにはいかないのだ。

加藤は一計を案じて新谷に持ちかけた。『文春オンライン』は広告モデルであり、PV数が上がれば広告収入が増える仕組みだ。仮に『週刊文春』由来の記事が全体の三分の一のPVを稼いでいるのであれば、広告収入の三分の一を『週刊文春』編集部の実績にしてほしい、と要請したのだ。

「新谷さんが『わかった、やる』と言ってくれたのは二〇一九年の秋頃。この判断はめちゃくちゃ大きかった。そんな時に、沢尻エリカが逮捕されたんです」(加藤晃彦)