「9階から2階」へ移ると、半年後には2億PVへ

役員のほぼ全員が反対だったから、「向かうところ敵だらけだな」と新谷が苦笑することもあった。

「オンラインとデジタルの現場で戦っているのは竹田と渡邉です。彼らが出した結論を社内の事情で潰すなんて論外でしょう。俺自身は、みんなが稼げてハッピーになれる仕組みを作りたいだけ。『文春オンライン』を週刊文春編集局に移して、もしうまくいかなければ、俺のことをおもしろく思わない人たちからボコボコに叩かれるに決まってる。リスクだらけですよ。でも、誰かが決断しなければ何も進まないから『俺が責任をとります』と押し切るしかなかった」(新谷学)

『文春オンライン』編集部が九階の宣伝プロモーション部から二階の週刊文春編集局に移ってきたのは二〇一九年四月のこと。俺が責任をとると啖呵を切った以上、新谷学には『文春オンライン』の数字を上げる以外に道は残されていなかった。背水の陣である。

だが、成果は意外なほど早く出た。当初の目標であった年内の一億PVは一カ月も経たないうちにクリア。その後も右肩上がりを続け、半年後の一〇月には二億PVを超えた。

二億PVは、出版社系サイトでは『東洋経済オンライン』だけが達成している数字だったから、渡邉庸三のデジタル部、文春オンライン編集部、デジタル・デザイン部(文春オンライン担当)にはそれぞれ社長賞が贈られた。

「『週刊文春』からもらえる記事の数も以前より遥かに多くなったし、渡邉庸三さんのデジタル部とガッチリ連携できたことも大きい。紙の雑誌で扱わないようなマニアックなアイドルのネタでも、『文春オンライン』に載せればドンとPVが伸びる。これまでデジタル部は課金サイトの『週刊文春デジタル』と『週刊文春』の芸能記事を主に担当してきたんですけど、次第に『文春オンライン』でPVを稼げる記事を作る専門部隊になっていった」(竹田直弘)

新編集長は「部数の減少」に大いに苦しんでいた

『文春オンライン』の躍進を支えているのが、紙の『週刊文春』のスクープ力であることは言うまでもなかろう。二〇一八年七月に新谷学から編集長を引き継いだのは加藤晃彦だった。

「青天の霹靂でしたね。ウチの奥さんとはずっと話をしていたんです。僕は『週刊文春』にもう六年もいるから、七月の人事異動では絶対に出るはずだ。『週刊文春』のデスクよりも忙しい仕事は文藝春秋にはほかにない。これからは楽になるから安心してほしいって。人事部のアンケートにも、希望の部署は『ナンバー』もしくは経理部と書きました。そもそも僕は『ナンバー』をやりたくて文春に入ったわけだし、営業にも広告にもいたことがあるから、経理に行けば会社のことが大体わかるかなと思って。

そうしたら三月末くらいだったかな。新谷さんに呼ばれていきなり『七月から編集長』と言われた。一瞬、何の編集長かなって。新谷さんとは一〇歳違うから、さすがに『週刊文春』編集長はないだろうと思っていたんです。文春は基本的に年功序列の会社だし。新谷さんが次に本誌に行くのなら、僕も一緒に行くかもしれない、とぼんやりと考えていたくらいで。

『週刊の編集長をやることになった』と奥さんに言ったら『えーっ、それはおめでとうって言った方がいいんだよね?』って、複雑な心境を隠さなかった。『週刊文春』のデスク以上に忙しい仕事はないと思っていたけど、じつはひとつだけあった。編集長です(笑)」(加藤晃彦)

新編集長となった加藤は大いに苦しんでいた。部数の減少が止まらないのだ。