毎日「死なない」という選択を繰り返してきた

14年前の夏、あこがれていた父が突然亡くなった。よくまわりの人から「つらいことばかりの人生を、よくがんばってきたね」とほめてもらえることがあるが、恐れ多くて仕方がない。

わたしにとって生きるというのは、がんばることではなかった。ただ毎日「死なない」という選択をくり返してきただけの結果だ。グラフにすると、谷があって、ゆるやかに、ゆるやかに、ほぼ並行に見えるくらいゆるやかに、上昇していくイメージだ。

父が死んで、母が下半身麻痺まひになって、障害のある弟とふたりで過ごして、正直つらかった。

生活がつらいわけではない。毎日毎日、悲しくて悲しくて、しょうがない。

それがつらかった。でも、家族を残して、死ぬことはできなかった。だから、生きた。何をがんばるでもなく、ただ、毎日、死なないようにした。

その代わり、忘れることにした。楽しい思い出も、悲しい死に様も、心のすみに追いやった。そしたら、つらくないことに、気がついた。父が死んだら、父のことを考えないようにした。母が倒れたら、母のことを考えないようにした。

父の死も母の苦境も、完全に過去となっていた

長い長い嵐の夜に、家のとびらをしめ切って、耳をふさいで、ただしのぐ。そんな状況が、何年も、何年も続いた。

写真=iStock.com/RomoloTavani
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いつの間にか、嵐は止んでいた。

家の外に出て、太陽のまぶしさに目を細めたとき、わたしにとって、父の死も母の苦境も、完全に過去となっていた。わたしはもう、父の笑顔と声を、まったく思い出せない。

エッセイで書いているエピソードは全部、母から聞いた話だ。後悔はしていない。

わたしには「忘れる才能」が残ったからだ。

この才能のおかげで、どれだけ嵐の夜を越えられただろう。

嫌な出来事に関しては、鶏にわとりが3歩歩くよりも先に忘れるものだから。仕事でしかられたときなんかは数分後「反省してないやろ!」と、怒りのたき火にハイオクガソリンをぶちまけるような社会人になったけど。