無意識に「新幹線の情景」を書き留めていた
それからどしたの。(CV:愛川欽也)
2019年12月30日、わたしは東京から神戸へ帰省した。
行きの新幹線は、それはもうすごかった。あれは新幹線ではない。もはや家だ。みんな新幹線に帰省してるのかと思った。
座れない人たちで大混雑のデッキ。ピクニックシートを広げ、おにぎりをかじる親子。せまい通路でつっかえ棒のようになって眠る若者。人の肩と肩の間で両頬をプレスされながらも、直立不動でゲームをするサラリーマン。
そこまでして、みんな実家に帰りたいのか。いや、わたしもだけど。
人間の帰巣本能とはすげえなあと感嘆しながら、スマホのメモ帳に、言葉で書き留めた。無意識にその驚きを、見えているままに、残そうとしていた。
わたしは忘れるから、書こうとするのだ
神戸に到着して、母と弟とおばあちゃんで、回転寿司に行った。愉快だ。間違いなく愉快だけど、一言で説明がむずかしい。家族の会話は、「楽しい」とか「悲しい」とか、一言じゃ説明できない情報量にあふれている。
おばあちゃんは「あんたもっと食べえな! しゃべってばっかおらんと」と怒りながら、笑っている。弟はわたしにせっせとお茶をいれてくれていた
が、粉末の抹茶と生わさびの容器を思いっきり間違えていた。
「これはワサビや! ドリフかあんたは!」わたしは泣き、喜んだ。
母はひとりだけ我先にと、オニオンサーモンを集める作業に没頭していた。
笑っていたり、泣いていたり、一言では説明がつかない。
ちなみになぜわたしがこんなに細かく説明できたかというと、スマホのメモ帳に書き留めていたからだ。
愛しいなあ、と思った。そして気がついた。わたしは忘れるから、書こうとするのだ。
後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように。父のときみたいに、もう忘れたりしないように。どうせ後から読み直すなら、苦しくないよう、少しばかりおもしろい文章で書こうかと。
無意識にわたしは、選択していたのだと思う。