※本稿は、岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)の一部を再編集したものです。
ピンク色のスカートで、ビール樽を背負うはずだった…
まだ会社員だったころ、甲子園へ高校野球を観に行った。何気に、わたしにとっては毎年恒例の行事である。あだち充の漫画に焦がれすぎたゆえの行動力。
高校野球っていったらもう、青春の代名詞じゃないですか。かくいうわたしもね、してた。青春。
甲子園球場の売り子のバイトを、大学生時代に。
ほら、あれですよ。わかりますか。ピンク色のスカートはいて、ビールの樽背負って。
「アサヒスーパードルァァイいかがですかー?」って。客席の花形ともいえる。
正直、あこがれてた。はちゃめちゃにあこがれてた。
父から「お前には浅倉南の“南”って名前をつけようとした」っていわれた記憶を、勇気に変えて。甲子園球場の浅倉南に、わたしはなりたかった。
そんで売り子に応募して。トントン拍子で受かって。
「いやー、すこぶる順調。生まれもってのスターだわこれは」くらいにね、思ってた。堂々と。何の疑いもなく。
初出勤日に、ホットコーヒーの箱をもたされるまでは。
見たことある?
39℃のとろけそうな日に。ビールやら酎ハイやらカチ割氷やらが、飛ぶように売れる日に。
ホットコーヒー、売り歩いてる女を。
見たことない。そんな純度100%の奇行、見たことない。
逆張り思考にも限度がある。
しかもこれ時給じゃなくて、歩合制だから。一杯20円とか30円の。シビア極まりない。
制服はくすんだ紺色、ズボンにはポッケがいっぱい
制服も「思ってたんとちゃう!」と叫びたくなる出来。
まず、色。ピンク色じゃない。この世の終わりかと思うほど、くすんだ紺色。
スカートでもない。ズボン。パンツでもキュロットでもなく、ズボン。ポッケがいっぱい。
追い打ちをかけるかのごとく、わたしの順調に育った太ももに悲鳴を上げてる。パッツンパッツン。
更衣室で鏡見た瞬間に思った。さすがにこれはないな、と。売り子のとりまとめをしているお兄さんに聞いてみた。
「あの……なんでわたしだけホットコーヒーを?」
「ああ! ひとりはね、そういう需要にこたえられるようにね、入れてんのよ」
どういう需要なんだ。
「岸田さん、面接の自己PRでひとりだけ、ストライク入ったときの敷田直人球審のモノマネしたでしょ。なんかこの子なら、ニーズと真逆の商品も売ってくれそうだなって……天の邪鬼の才能っていうのかな」
ニーズと真逆を自覚しておきながら、それでもなお……?
この人、天の邪鬼っていう言葉の意味をたぶんわかってない。
どうやらまわりの人の話を色々聞いてると、このバイトには、露骨に血で血を洗うほど厳しい顔採用があるらしい。
ちなみに、わたしがバイトしていた当時の話なので、いまは知らない。