クオモ知事は事実と意見をしっかり分け、「責任は私がとる」と言った

もとは宗教的背景がある。Godがこの世界を支配している。そのこと(事実)は、神の領域。それに対して、意見は、人の領域。神の領域と人の領域をごっちゃにしないように、が西欧のものの考え方の根幹になる。

科学は、事実(実験・観察)/意見(仮説)の緊張のなかで、進歩する。政治は、事実(データ)/意見(政策)の緊張のなかで、前進する。人びとの意見の一致をはかろうと思えば、まず事実を確認し、共有しよう。なにを事実と認めるかがばらばらだったら、決して意見の一致ははかれない。

事実を確認するのはコミュニケーションの、イロハのイなのだ。

クオモ知事はこうして、記者会見で毎回、新しい感染者や入院や死亡者の人数、最新の情報など、事実を確認していく。

そのうえで、ちょっと大事な意見を述べる。こんな具合だ。

《私が思うには、危機がもたらすのは、第一に、われわれ自身についての真実です。そして、他者についての真実です。人びとの強さと、弱さです。》
《こんななか、並外れた仕事をやってくれている人びとが大勢います。医療スタッフが仕事に向かうのを見るとき。マーケットの従業員がダブルシフトで、店の品揃えを懸命に整えているのを見るとき。警察官や消防士が外で仕事をしているのを見るとき。みんな、並外れたヒーローです。自分ならできるかと、考えてみて。》
《これこそ、公務というものです。彼らを見かけたら、ありがとうと声をかけてください。こうした人びとが、どう働いているのかわかると、人間はどんなに美しいのか、どんなに勇敢なのか、見えてくるでしょう。》

3月21日の記者会見のクオモ知事の意見の、山場はこんな具合だ。日によって、言うことが違う。だからまた、聞きたくなる。ウェブに動画がたくさんあがっている。「Governor Cuomo, March 21」などと検索してみて。すぐみつかるはずだ。

安倍首相「私たちが責任を取ればいいというものではありません」

クオモ知事の会見で、事実→意見の後に続くのが討論(記者とのQ&A)だ。

写真=代表撮影/ロイター/アフロ
新型ウイルス肺炎が世界で流行。安倍晋三首相、2020年4月7日に緊急事態宣言を発出

日本の安倍晋三首相は4月7日の緊急事態宣言でのスピーチが済んだあと、記者との質疑応答に応じた。最後のほうでイタリアの記者が、日本は外国のようなロックダウンをしないという選択をして、「一か八かの賭けが見られますね。……失敗だったらどういうふうに責任を取りますか」、と質問をした。それに対して安倍首相が、《例えば最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません。》とのべた。こんな言い方はないだろうと、非難も起こった。

一方、クオモ知事はどうか。3月22日の記者会見でクオモ知事は、NY州の外出禁止令について、《この決断の責任は、私がとる。(中略)もしも、不満だったり、誰かを責めたくなったりしたら、私を責めてくれ。私以外の、誰のせいでもないのだから。》とのべて、称賛された。潔い。意思決定にともなう覚悟のほどが、うかがわれる。