「AI」対「人間」で語るときに忘れられていること

【深谷】身の丈をはるかに超えた膨大な情報を扱いきれず、メディアを開けばよくも悪くもパターン化された情報が刷り込まれて、結果人はだんだんものを考えなくなっていく……、これが21世紀の人間の姿だとしたら、ホーキング博士の警告どおりAIの登場は脅威です。わたしたち人間にはそれでも、AIの計算能力をしのぐ直感の力があると信じていいのだろうか。現代技術をしのぐような日本のたくみの卓越した五感力は、人間固有の能力としてあり続けるのだろうか。

【岡本】そうですね。どうかな。たぶんですね、そうした最近よく聞かれる問いには、基本的にその問いの前提条件にまでさかのぼって問い直す必要があるのではないかと、わたしは思っています。

【深谷】どういうことでしょうか。

【岡本】たとえばAIに対して「わたしたち人間は」と、人間をひとまとめにして語ろうとしていますね。そこには、共通の「人間」というイメージがあるんだと思うのですが、人間はみな同じでしょうか。そんなことないですよね。

【深谷】それは人間はそれぞれみな違って、価値観も違うし、なのでその多様性を大事にしなければならないということは日々思っていますが。大衆から「分衆の誕生」というメッセージを我が社が発信したのは、1985年でした。当時は、ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることを指していたようです。家族という単位から個人という単位へのシフトですね。

「ダイバーシティ」の薄っぺらさ

【岡本】いえ、わたしが考えているのは、そういった価値観の多様性とか、世代ごとの感性の違いとか、趣味趣向や生き方の違い、といったことではないんです。表現は難しいのですが、それら個別に語られてきた違いを総合したかたちでのより大きな違いとでも言ったらいいのでしょうか。そうした人間同士のあいだでの差異が、おそらくこれからより鮮明になっていくだろうとわたしは見ています。

ですので、先ほどの問いに戻りますと、AIと「わたしたち人間」という対比でこれからどうなっていくのかを問う前に、わたしたち人間がこれからどのような能力によってどのように分かれていくかを考えてみるべきなのではないかと。そろそろそういう時期にきているのではないかと思っているのです。

【深谷】ほう。なんだか、多様性だ、ダイバーシティだと言っていることが、じつはとても表層的なんじゃないかと思えてきました。人間はヒト科ヒト属に属する一つの種なのか? そんなふうな問いかけにも聞こえます。

【岡本】わたしは大きく分けて、動物化するタイプと、超人化するタイプと、たぶんこの二つに人間が分かれていくだろうと見ています。ポスト近代の新たな人間像はそこからあらわれてくるのではないかと思っています。