情報に「受動的な人」と「能動的な人」の差

【深谷】最近では、テレビでも、ゲームでも、ネットでも、それを一日中見て過ごすという生活は十分可能で、必要なものはすべてネットで注文すれば自宅に届きます。

そういう生活が健全なのかどうかを問う前に、広告はそういう生活をも後押ししていて、人々がもうあまり活動しなくてもいい、何も考えなくていいという状態をつくる方向にどんどん進んでいるのではないかと思います。なぜなら、利便性や快適性というニーズ、すなわちそういう生活を心地よいと思い望む人たちがいるからです。

しかしもういっぽうでは、商品やサービスを売るための行為のみに陥ってしまったから広告はおもしろくないんだとか、広告が人間をだめにするとか批判的に思う人がいるということもわかっています。デジタルネットワーク世界で流通する情報に対する感覚の違いは、もしかしたら動物化する人々と超人化する人々が分かれていく入り口になったりするのでしょうか。

【岡本】それはイメージとして非常にわかりやすいですね。新しいメディアが登場すれば当然、そこに人は群がりますし、魅力的なコンテンツが登場すれば当然、人はそれに熱中します。テレビでも映画でもいまのインターネットでも同じです。ただし情報への接し方は、きわめて受動的な人と、きわめて能動的な人―そういう人をクリエイティブというのかどうかはわかりませんが——、そのあいだにはものすごく大きな差がありますよね。

超人化する人は、たった1%程度

【岡本】おっしゃるように、与えられるまま享受するだけで十分楽しく、それに満足している人たちが大勢いるいっぽうで、なんでこんなにつまらない情報ばかりなんだろうと思っている人たちも山ほどいるでしょう。

さらに、つまらないと思っている人のなかにも、つまらないからもう見ないといって情報から離れていく人たちと、自分ならもっとおもしろいものをつくれるぞといって実際におもしろい情報や仕組みをつくりあげる人がいると思うんですね。

ただし、そういう人には誰もがなれるわけではない。おもしろいものをつくる、おもしろい仕組みをつくるとなれば、知識も技術も必要ですし、構想する力も必要です。道具や材料、場所や時間、仲間も必要かもしれません。それらをすべて総合して能力と見るならば、みんなが共通の能力をもっているとは言えないですね。それはありえないことなんです。

【深谷】超人化していくタイプって、どのくらいの割合でいると思われますか。

【岡本】社会の推移を見ても、だいたい一定のパーセンテージのような気がしますね。人数的にはたぶん1%とか、そのぐらいのレベルではないでしょうか。そういう人たちが、21世紀なかばくらいに、世界のあちこちに出現してくるような気がします。

【深谷】人間はほぼ動物回帰へ。もしくは変わらず動物のまま。何か予言のようです。