算数と数学の「考え方」はまったく違う

小学校で算数を習い、中学から数学を習う。こうした流れから算数の上に数学があると思っている人は多い。だから、数学が得意な父親が算数を教えることはたやすいと思われがちだ。確かに算数は、数学の土台となる基礎を学習する。しかし、両者は同じ数を扱っても考え方がまったく異なる。

算数とは、数少ない道具を使って、それらをいろいろ組み合わせながら答えを探すものだ。そこでは「今わかっていることから、次は何がわかる?」「それがわかっているなら、何がわかる?」といった頭の使い方をする。順を追いながら答えを見つけていくため、道筋がはっきりしていないと答えを出すことができない。ビジネスでいうと、「今あるリソースで何ができるか」を考える創造的な発想だ。つまり、外へ考えを広げていく拡大思考だ。

一方、数学は、決まった形の方程式の中に数字を入れて、計算をする。「答えを出すためには、どういう式ができればいいのか?」「条件を当てはめられるか?」といった頭の使い方で、多くは公式に終結させる。テンプレートにそって作業を進めていく手法と捉えることができる。つまり、中心に向けて絞り込んでいくという集約思考だ。

受験算数は「道具を使って工夫しながら解く」もの

このように、両者は考える方向が違うのだ。受験算数は結論を出すよりも、限られた道具(条件)を使って、工夫をしながら解くことに意味がある。使える道具が少ないからこそ、考え工夫する力が鍛えられる。その試行錯誤する姿勢こそが、難関校をはじめとする多くの学校が求める生徒像であり、その力があるかどうかを見極めるために入試が存在するのだ。

しかし、中学受験を経験していない理系父さんは、そのことを知らない。一方、中学受験を経験しているお父さんの多くは、幼い頃の経験は大学受験の数学の学習経験に上塗りされている。

小学生の頭脳は発展途上だ。高校生なら無意識に気づくことでも、発展途上の頭脳では気づかないことは多い。

ほとんどの理系父さんが経験したセンター試験の数学を思い出してほしい。あの種類の数学で9割以上を得点するための王道は、適切なレベルの問題集を一問残らずにつぶしていくことだったと思う。出来の良い理系父さんは、「その問題」を解くことで「そのような問題」を解く力を身につけられたのではないだろうか。でも、それは「その問題」を解くことで問題の特徴をカテゴライズし、他の問題との類似点と相違点に気がつく大人の頭脳だからこそ可能な学習法だったのだ。