ヨコ社会で重視されるのは「信用や文脈」
今、私は自分のクライアントに対して、少しでも出資提携をするようにしている。わずかでも株主になれば対等な関係になれるので、それだけでかけるコストが7割とは言わないものの、5割は減らせるからだ。コミュニケーションを取るためだけの無意味な資料を作る必要がなくなれば、空いた時間で本質的な価値創造に専念することができる。
タテ社会の住民は少しずつだが、ヨコ社会にシフトしていかねばならないだろう。
ヨコ社会で生き抜くためのルールをもう少し詳しく説明しよう。タテ社会ではお金が重視されるが、ヨコ社会では常に信用や文脈が重視される。
お金(数字)という言語は、衣(医)食住を満たす領域で有効だった。なぜならそれらは必需品であり、一つひとつの製品・サービスに独自性を求められないからだ。
しかし経済が進み、人々がつながりや承認欲求といった社会的欲求を求めるようになると、お金ではその欲求が満たせなくなる。それよりもこれまで述べた通り、文脈が求められるようになるのだ。
特にヨコ社会のやりとりでは信用がお金を駆逐する。コミュニティの中ではなく、コミュニティとコミュニティの間でやりとりされる(価値観の違う人とのコミュニケーションに使う)のがお金なのである。
お金を使う主体は個人からコミュニティへ
コミュニティの中では原則、お金が必要ないと考えられる。理想的なコミュニティの仲間は、家族間の関係を拡張したものだ。家族間でお金を使用してコミュニケーションを取る必要はない。
コミュニティの中ではお金の代わりにシェアや貸し借りなど、信用を中心とした経済システムが有効に働く。そしてお金を使わないということは、「文脈の毀損」を防ぐことができ、健康的で心地の良い生活が送れる。それが、コミュニティが貨幣経済に関する問題の解決策となる理由である。ここにきてお金の問題と社会の問題の対立構造は解決し、ウェットな人間関係が構築される。
ただし、コミュニティの外にはお金を使うことになる。異なるコミュニティ同士のコミュニケーションの手段ということである。お金の役目は残しつつ、お金を使う主体は個人からコミュニティに移行していく。またそれらを下支えするのは、もはや国家ではなく、ブロックチェーンベースの仮想通貨やトークンといったテクノロジーに変化する。