身近な人々に向ける著者の深い情愛

紛争・性暴力とその防止は、著者の体験や被害を論じる上で不可欠な視点ではある。しかし、問題をそれだけに限定する、あるいは著者の体験を過度に「普遍化・一般化」することには、本書の中でたびたび表明される著者の感情とは相いれないところも見受けられる。本書の中でも、自分は強くも勇敢でもないという著者の自己認識が度々表明される。

また、「イスラーム国」による虐待から脱した後の著者の関心の中心は、自身や身近な人々の安寧や救出である。身近な人々やヤズィディの共同体に向けられる、著者の深い情愛が印象的である。

裁かれるべきは「イスラーム国」だけではない

紛争とそれに伴う性暴力の根絶という問題意識と並んで重要なのは、何がヤズィディの共同体全体への恐るべき虐待と殺戮を可能にしたのかという問題である。著者の親族の男性もほとんどが殺戮されたし、親族の男児の一人は「イスラーム国」の最末端の兵士へと「改造」された。

ナディア・ムラド(著)/吉井智津(翻訳)『THE LAST GIRL イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(東洋館出版社)

著者の認識では、「イスラーム国」が関わった紛争の当事者となった諸国・政府・諸組織、そして諸共同体は、ヤズィディの共同体を襲った悲劇を防止する手だてを講じず、進行中の事態を黙殺し、すっかり手遅れになった後に現れた挙げ句、著者やヤズィディの人々を政治的に利用した。

告発され、裁かれるべきなのは「イスラーム国」だけではないし、この種の悲劇を繰り返さないために行動を起こすべきなのは市井のムスリム、特に政治や宗教分野の指導者たちであると著者は明言している。また、「イスラーム国」の行為を、自分はそのような解釈を支持しないと言い訳しつつ、「イスラーム的に正しい」というにとどまった解説や分析は、本当に解説の役割を果たしたのだろうか? 解説・分析分野の末端に属する筆者としても、顧みる点は多々あることを感じさせられた。

高岡豊(たかおか・ゆたか)
公益財団法人中東調査会 主席研究員
新潟県出身。1998年早稲田大学教育学部を卒業後、2011年に上智大学で博士号(地域研究)を取得。2014年5月より現職。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』(三元社)、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』(明石書店)など。
(写真=AFP/時事通信フォト)
関連記事
安田さんとネット民のどちらに分があるか
韓国に広がる「日本どうでもいい」の理屈
80億の報酬を隠した"強欲ゴーン"の動機
"日韓併合は違法"とする徴用工判決の奇怪
小6女子たちの"悪夢のいじめパーティー"