定型的なカリキュラムの落とし穴
私は、小1プロブレムの問題は、教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルを今世紀になっても続けていることから起こる問題ではないか、と考えている。旧来の学びスタイルへ無意識に、もしくは意識的に抵抗を示そうとする子どもたちからの「サイン」ではないか、と考えている。
多くの子どもたちは、小学1年生の授業を実際に受けて「ああ、楽しい」「面白い」と感じているだろうか。学びの喜びを感じているだろうか。アリの巣を発見して、時間を忘れてその場にしゃがみ込んでいたり、大好きな電車の絵を夢中で描いていたりする喜びを、小学校でも感じているだろうか。
もちろん「勉強」は必要だ。だが、子どもたちの中には(たとえ静かにイスに座り、先生の話をおとなしく聞けていても)、「学ぶということはじっとガマンして聞いていることなのだ」ととまどいを感じ、小さく失望し、やがて退屈でつまらないものだと感じるようになる子が大勢いるはずだ。
そこにはカリキュラムの内容や教え方など、さまざまな要因が考えられるが、もっと俯瞰的に見ると、子どもたちが時代のカナリアとなって、日本の教育の時代に合っていないところを明るみに出し、大人たちにイエローカードを突きつけているように映る。
子どもたち一人ひとりは、本当はすごい能力を持っている。うまく育てて導くと、大人がびっくりするようなことをやってのける。大人たちが既成のルールや枠にはめようとせずに、各人の潜在能力を発揮する場を与えれば、驚くような才能が花開くはずだ。
教える側は子どもたちの言い分を聞き流すことなく、じっくりと耳を傾け、深く共鳴していくべきだ。子どもだとばかにしていると、われわれの世界を支えていく次の世代を育て損なうことにもなりかねないし、ひょっとすると歴史をつくり損ねるようなことになってしまうかもしれない。本当に「怖い」のは日本の教育のあり方かもしれないのだ。
白梅学園大学前学長、東京大学名誉教授
1947年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。専門は教育学、教育人間学、育児学。育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。『小学生 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など著書多数。近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)がある。