東京社説は「民進党よ、しっかりしろ」
次に「民進党よ、しっかりしろ」との見出しを掲げる東京社説。
その社説では山尾氏について、「国会質問では、保育園に子どもを預けられない母親の窮状を訴えた『保育園落ちた日本死ね』という匿名ブログを取り上げて安倍晋三首相を追及。政府が待機児童問題の深刻さを認識し、対策に本腰を入れるきっかけとなった。その後、当選二回ながら政調会長に登用されるなど、民進党のみならず政界の将来を担うべき有為な人材である」と評価した後、こう書く。
「その山尾氏が代表選直後に離党に追い込まれたことに、失望している人たちは多いのではないか。特に、子育て世代には『裏切られた』との思いもあるようだ」
「個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない」
「しかし、そもそも誤解を生じさせるような行動を、民進党の再生を期すべき重要な時期にしていたことは軽率の極みである」
「常日ごろは説明責任を果たせ、と安倍政権に迫りながら、記者からの質問を一切受け付けなかった対応にも不信感が残る」
いずれの主張も常識的なもので、ここで沙鴎一歩が言及する必要はないと思うが、あえて言わせていただければ「おもしろくない」のである。
「強すぎず、弱すぎず」ではおもしろくない
東京社説も前原氏の責任を問い、今後の民進党の行く末を予測する。
「前原誠司新代表は、山尾氏の幹事長起用を一度は決めながら、男性との交際疑惑を報道前に知り、撤回した。党の要である幹事長自身が疑惑にさらされる事態は避けられたが、前原新体制の船出はかなり厳しいものになるだろう」
「もはや甘えは許されない。自民党に代わる政策や理念の選択肢を示すのは国民のためだ。議員に限らず民進党にかかわるすべての人が、その決意を今後の政治行動で示すべきである。それができないのなら民進党に存在意義はない」
これらの主張もこれまでの新聞の社説の域を出ない弱いものである。それゆえ、おもしろくない。
新聞の社説というのは、複数の論説委員の考えをひとつにまとめて書くため、その主張は「強すぎず、弱すぎず」というラインをたどる。その結果、おきまりの形になることが多く、今回の東京新聞の社説もそう読める。
それではどうすればいいのか。これは難題だが、新聞社である以上、東京新聞にも独自の編集方針があるはずだ。まずその編集方針に基づいて論説委員たちが真剣に議論することだ。
沙鴎一歩からの提案があるとすれば、社説で正面から「政治家の不倫」について論じてみてはどうだろうか。これまでの紙面を見る限り、東京新聞の社説はユニークなテーマを扱うことが多く、他紙にくらべて融通がきくように思う。
政治家の不倫は許されないのか。許されないとすれば、なぜなのか。正面から論じることができれば、画期的でおもしろい社説になるはずだ。