林真理子も瀬戸内寂聴も乙武クンをかばった
政治家ではないが、昨年3月、参院選出馬を取り沙汰されていた乙武洋匡氏に不倫騒動が持ち上がった。報じたのは週刊新潮で、見出しは「『乙武クン』5人との不倫」だった。記事のリードには「想像を絶する」とか「まさかの乱倫正体」といったすさまじい表現が並んでいた。この「特ダネ」は、テレビやスポーツ紙などが相次いで追いかけることになり、日本中が“乙武クン不倫騒動”に注目することになった。
もちろん不倫はよくないことだ。しかし、だからといって乙武氏のすべてを否定すべきなのだろうか。騒動の最中、作家の林真理子さんは、週刊文春(昨年4月7日号)のエッセー「夜ふけのなわとび」でこう書いている。
「重いハンディがあっても、男の魅力が溢れていれば、女の人は恋心を持つ。女たらしという乙武君の行為は、どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか。『奥さんは泣かせただろうけど、モテるのは仕方ないよねー。ま、よくやったよ』と、私は彼の肩を叩いてやりたい」
同じく作家の瀬戸内寂聴さんも、昨年4月8日付の朝日新聞のコラム「寂聴 残された日々」で、乙武さんと対談したときの記憶をたどりながら「早稲田の学生になって、ベストセラーの本を出すまでの歳月、人のしない苦労をしてきたかと思うだけで胸がいっぱいになった」と乙武氏を励ましていた。
議員辞職しなければならないのか?
政治家の不倫に話を戻すと、こういう疑問がわく。不倫が発覚した政治家は議員辞職しなければならないのだろうか。先の東京新聞の社説は「個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない」と書いていた。新聞社説が「声がないわけではない」という婉曲な言い回しを選ぶほど、不倫に対する世間の目は厳しいということだろう。だが、そろそろ落ち着いて考えてもいいのではないだろうか。
よく知られているように、田中角栄元首相には何人もの女性がいた。しかも彼女たちとの間には子供もいた。時代が違うといえばそれまでだが、政治家としての能力に欠けているとは言い切れないはずだ。
沙鴎一歩は「不倫」を奨励しているわけではない。不倫を一辺倒に否定する風潮について違和感を覚えるのである。人間社会には白黒をはっきりさせないファジーさも必要だ。産経社説は「何とも緊張感に欠ける」と書いたが、緊張しっぱなしのほうが、暴発する危険があるように思う。どうだろうか。