「中国人店員」に客が抱く「寛容の精神」

日本に蔓延する「お客様は神様です」思想により、客は「店員たるもの、常に勤勉に働く姿を見せよ」といった要求をしがちである。過去には、質問サイト「発言小町」にて「レジや販売、座っていてもいいと思いませんか?」という書き込みがあり、これが議論を呼んだ。店員が座っていることをけしからん、とするネット上の声も思いのほか数多く存在するのである。また、少しでも乱暴な運転をしている運送業者や、クラクションを鳴らす(社名付きの)営業車などがいると、その会社に電話をし、「おたくの会社の車が、クラクションを鳴らしていた。どういう社員教育をしておるのだ」などとクレームをつける。

以前、とある市役所職員から聞いた話なのだが、役所の公用車を飲食店の駐車場に昼時に駐めていると、役所にクレームが来るのだという。曰く「昼休み、プライベートの食事をするのに公用車を使うとはけしからん」とのこと。確かに昼休みは自分の車で動くべきではあろうが、たとえば公用車で仕事に出かけ、12時に出先で仕事が終了。このまま役所に戻り、自分の車に乗り換えて食事へ行くと確実に午後の始業時刻である13時には間に合わない。仕方ないから帰り道の途中で食事を済ませてしまおう! ……といった状況もあるのだが、公僕たるもの、これが許されないのである。

これは、消費者(サービス受益者)の側が、サービス提供者に対し、過度な期待をしていることを意味する。居酒屋の場合でも、日本人店員であれば「お飲み物は何になさいますか?」という丁寧な話し方が求められるし、ときには注文を取る際に膝を地面につける店員もいる。そして、帰りぎわには深々とお辞儀をされたりもする。そして、これらをされないと「おたくの店員教育はなっとらん!」などと客が怒り出したりするのだ。「飲み物は何にしますぅ~」みたいなチャラい言い方でも怒る客はいるだろう。

しかし、不思議なことなのだが、店員が中国人だと、丁寧でなくても腹が立たないのである。中国人による「ノミモノ、ナニ?」よりも日本人による「飲み物は何にしますぅ~」のほうが丁寧なのに、後者のほうは許せない。

この違いがなぜ生じるのかを考えると、「中国人店員だから、このくらいのサービスだろう」と客も寛容の精神を発揮している、ということになる。ならば、別に日本人の店員であっても、同様に接していいのではないだろうか。サービスに求める期待値を下げることにより、働く側のストレスも減り、客の側もピリピリせずに済む。