自動車販売数でトヨタ、ホンダ、日産の3強に次ぐ4位に入り、手堅い経営戦略を見せるスズキ。系図研究者の菊地浩之さんは「創業は115年前。鈴木自動車工業時代も、社名をスズキとしてからも、息子ではなく婿養子に社長の座を譲ってきた。創業者の鈴木道雄は地元・浜松市の工業高校在学中の成績から、2代目社長・鈴木俊三を長女の婿に選んだ。そういった実力重視のトップ継承にもスズキの強さがあるのではないか」という――。
スズキのロゴ
写真=iStock.com/Sjo
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業界ナンバー4、スズキの国内工場は全て静岡県内にある

2024年4月、川勝平太・静岡県知事が辞職を表明した。川勝知事はことあるごとにJR東海に難癖を付け、リニアモーターカー事業の最大の障壁だといわれたが、ネットでは元スズキ社長・鈴木修が同事業を反対し、知事の発言は鈴木の意向を汲んだものだとの報道が流れた。

報道の真偽はさておき、スズキの中興の祖・鈴木修が静岡財界の重鎮であることは間違いない。ご本人は「中小企業のおやじ」と自称し、スズキは自動車販売台数国内2位になった今でも地元静岡を忘れない。本社を静岡県浜松市に置き、県内ナンバーワン企業であるのみならず、国内の5工場はすべて静岡県内(の遠江地方)。莫大な就業人口を支えている地元密着型企業なのだ。

これはTOYOTA(トヨタ自動車)、HONDAと比較すればよく分かる。実はスズキを含めた3社の創業者はいずれも浜名湖周辺の出身なのだが、TOYOTAは大規模工場建設にあたって隣県(愛知県)に移り、HONDAは本社を東京都青山に置き、両社は生産拠点を1つも静岡県内に置いていない。これでは静岡県(知事)はスズキに頭が上がらないだろう。

創業者・鈴木道雄の立身出世物語

スズキの創業者・鈴木道雄(1887~1982年)は静岡県浜名郡芳川村(浜松市中央区)の農家に生まれ、尋常小学校を卒業すると大工になった。しかし、1904年に日露戦争が勃発するとその影響で大工の仕事が減少したため、師事していた親方が足踏織機あしぶみしょっきを製作しはじめ、道雄も織機の作り方を習得する。

同郷の豊田佐吉とよださきちは道雄よりちょうど20歳年長で、1896年に動力織機を発明して特許を取り、1906年に三井物産等の出資で豊田式織機株式会社(現 豊和工業)を設立していた。親方や道雄もそれに刺激を受けたのだろう。

1909年、道雄は鈴木式織機製作所を設立して織機の製作を企業化。織機の改良を重ね、1913年に鈴木式力織機を発表して急成長をとげた。1920年、資本金50万円で鈴木式織機株式会社を設立し、道雄が取締役社長に就任した。なお、1954年6月に社名を鈴木自動車工業株式会社、1990年にはスズキ株式会社に社名変更している(以下、スズキに表記を統一)。