グローバル展開を続け、2023年には4兆円を超える過去最高の営業利益を記録したトヨタ自動車。系図研究者の菊地浩之さんは「トヨタグループの特徴は、初代・豊田佐吉から始まる豊田家一族のレガシーをうまく活用してきたこと。現会長の豊田章男氏は2009年の赤字転落という危機の時、自動車好きの創業者一族というイメージ重視で社長に就任した」という――。

初代・豊田佐吉は大政奉還の年に生まれた農民だった

世界を代表する自動車メーカーとなったトヨタ自動車。そのオーナー一族が豊田(とよだ)家であることはあまねく知られている。オーナーが「トヨダ」で、社名が「トヨタ」なのは、乗用車のマークを考案したデザイナーが「濁点がない方がスマート」と濁点を取ってしまい、それが採用されたために「トヨタ」になったといわれている。

トヨタグループ創業者、豊田佐吉
トヨタグループ創業者、豊田佐吉(写真=『豊田佐吉伝』より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

トヨタ自動車の本社:豊田とよた市は愛知県だが、豊田家のルーツはお隣の静岡県だ。トヨタグループの創業者・豊田佐吉とよださきち(1867~1930)は、大政奉還の年、遠江国敷知郡吉津村(現・静岡県湖西市)の農家に生まれた。ちなみに、HONDAの創業者・本田宗一郎(1906~1991)は静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)、スズキの創業者・鈴木道雄(1887~1982)は静岡県浜名郡芳川ほうがわ村の生まれで、みんな浜名湖の近くの出身だ(特に血縁関係はないが)。

明治になり、文明開化の時代、佐吉は農業だけでは食べていけず、大工に従事。機械の修繕を通じて動力機械に興味を抱き、布を織る自動織機を発明。特許を取った。これに三井物産が目をつけ、1911年に同社の支援で愛知郡中村大字栄字米田(現・名古屋市西区米田。トヨタグループ発祥の地)に豊田自働織布工場を創業。その紡績工場が稼働し始めた1914年、第1次世界大戦が勃発。莫大な注文が舞い込み、大成功を収めた。ここから豊田紡織(現・トヨタ紡織)、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)へと業容を拡大していった。

【図表】豊田家の家系図
筆者作成

二代目・豊田喜一郎が90年前にトヨタ自動車を設立

そして、トヨタ自動車は、佐吉の長男・豊田喜一郎きいちろうによって設立された。

喜一郎(1894~1952)は東京帝国大学工学部を卒業し、豊田紡織に入社。欧米の繊維業界視察の後、自動織機の開発に参画。豊田自動織機製作所が設立されると、同社技術担当常務に就任した。

喜一郎は父・佐吉に劣らず、創業者精神にあふれ、国産自動車の製造を志した。1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設置し、愛知県西加茂郡挙母ころも町(現・豊田市トヨタ町)に工場用地を買収。本格的な開発に着手した。しかし、なかなか開発はスムーズに行かず、資金ばかりを費やした。