TV番組でのカンニング竹山氏の「古文が人生に一度も役立ったことがない」という発言が、SNSで物議をかもした。「古文が必要か否か」という議論は、今に始まったことではない。予備校で古文のカリスマ講師として30年以上にわたり活躍をつづけた吉野敬介さんは「古文を勉強する意味があるのかと生徒に聞かれたときに返していたフレーズがある」という――。
古文を学ぶことは日本の伝統を学ぶこと
大前提として「古文を学ぶ」ことは、日本の伝統を学ぶこと。単に過去の出来事ではなく、現在をつくってきたものであるということを、まず理解してほしい。
だから古文は、俺たちのご先祖様の世界を見に行くようなものであって、そういった日本の伝統を学ぶからこそ、社会でも世界でも活躍できる。つまり古文は、日本人が身につける教養として大切なものなんだ。
それに、人生の役に立つかどうかでいうと、中学・高校で学んだ物理や数学を社会に出てから仕事で使っている人がどれくらいいるのか、という話にもなる。三角関数を使っている会社員なんかいる?
代わりに何を学ぶの?
次に、古文をカリキュラムから外すとして、代わりに何を勉強するのか。
よくメディアでは、古文を勉強するぐらいなら、金融や投資など、社会に出たときにもっと役に立つ勉強をしたほうがいいといわれる。
じゃあ仮に、古文や漢文をやめて、学校の授業で1時間目は金融、2時間目は不動産、3時間目は投資、4時間目は為替、なんてやっていたらどうなの? お金のことをそんなにたくさん学んだところで、元手がないとそんなに意味はないよ。
たとえば、渋谷区のここ10年間の土地の平均価格の変動を習ったとしよう。そんなの東京に住んでいるならまだしも、地方に住んでいたら、むなしくなるだけだよね。3年前の6月の日経平均株価は、いくらでしょうって空欄穴埋め問題。そんな中間テスト、嫌だよね?
そもそも、「古文はムダだ」とか言うやつは、古文が金融や不動産に変わったところで多分、金融や不動産の勉強もしないと思うよ。