新浪剛史の誘いを受けローソンへ転身

【弘兼】98年の段階では、ファーストリテイリングは今ほどの知名度はありませんでした。玉塚さんが入ったのは成長期ともいえる時期。実際に働いてみてどう感じましたか?

【玉塚】すべてはお客さまが決めるという顧客中心主義が貫かれていましたね。

【弘兼】2002年、玉塚さんはファーストリテイリングの社長に就任します。

【玉塚】ファーストリテイリングに7年間、最後の3年間は柳井さんが会長、僕が社長という非常に近い距離で、やけどするくらいの熱い薫陶を受けました。

【弘兼】やけどですか。柳井さんは強烈な経営者ですからね。

柳井はこの連載にも登場している。その中で玉塚の退社をこう語っている。
「彼は優秀です。よく勘違いされているんですけど、僕がクビにしたんじゃない。彼が辞めたいと言ったんです」
柳井はユニクロの国内出店が一段落したと考え、玉塚には欧州進出を任せる考えだったという。一方、玉塚の考えは違った。ファーストリテイリングの01年に4100億円あった売り上げが、02年には3400億円、03年に3000億円に急減していた。彼は国内の立て直しを訴え、この齟齬が退社に繋がったと柳井は説明した。
05年、玉塚はファーストリテイリングを退社、「リヴァンプ」を立ち上げた。
リヴァンプは「刷新」「立て直す」という意味である。玉塚は「企業を芯から元気にする会社」と説明する。

【弘兼】リヴァンプでは具体的にどのようなことをやられたんですか?

【玉塚】不調に陥った企業の再生、ブレークスルーをしたいという会社の支援、その他、バーガーキング、クリスピー・クリーム・ドーナツなどの日本展開を手がけていました。

【弘兼】その後、ローソンの社長だった新浪(剛史)さんから誘われたんですね。

【玉塚】最初は手伝ってくれと頼まれました。リヴァンプの業務の一環としてローソンを手伝うつもりでした。

【弘兼】新浪さんは慶應大学の先輩に当たります。彼とのお付き合いは古いのですか?

【玉塚】大学時代はまったく知りません。僕がファーストリテイリングの社長になった年、新浪さんもローソンの社長になったんです。雑誌の対談で何度かお会いする機会があって、「ユニクロの話を聞きたい」と言われ、たまに会う仲になりました。

【弘兼】新浪さんは玉塚さんにリヴァンプを辞めてローソンに入ってほしかった。

【玉塚】僕はオーナーです、社長です、無理です、という会話が1年ぐらい続きました。最終的にローソンという企業の持つ「私たちは“みんなと暮らすマチ”を幸せにします。」という、企業理念に惹かれました。やはり僕は小売業が好きなんですね。小売業を突き詰めていくとコンビニは外せない。

(左)ファーストリテイリング社長を経て、(右)ローソン社長へ。(時事通信フォト=写真)

【弘兼】ローソンに入ったとき、他のコンビニチェーンと比較して、強み、そして弱みはどのように分析されましたか?

【玉塚】宝の山のように思えました。リヴァンプで僕は様々な会社を見てきました。そうした会社と比べて、1万2000という店舗数は強烈な資産です。この資産をもっと有効活用して、ブランドの力を高めるには様々なやり方があるだろうと。

【弘兼】ここ5、6年、コンビニエンスストアに要求されるものが劇的に変わったように思っています。最近は低糖質パンや野菜たっぷりなスムージーが充実しているなど、健康に敏感な女性客が増えているように見えます。

【玉塚】4年前、ローソンで健康関連商品の売り上げというのはほとんどなかったんです。それが一昨年は約1000億円、昨年は2000億円にまで伸びています。その一つの例が、「グリーンスムージー」でした。「ナチュラルローソン」のチルド飲料シリーズから発売し、レギュラーのローソンの1万2000店で展開しました。このほか、サラダ、ベーカリー、菓子などで「健康」「ヘルシー志向」が一つのキーワードになっています。