21世紀最初の25年は中国大陸が決める

経済は心理だ、とあらためて思う。北京の人々の体温と東京の人々の体温の温度差の報道を読んで、たしかにそうだろうと思った。勢いのあるときは、多少のトラブルも平気でこなしていくのが、国であり、企業であるようだ。

もちろん、ベルリン五輪を国民意識の高揚につなげることに成功した後のヒットラーのような、悪い前例がないわけではない。北京での五輪開催に向けて大量の建築物をつくるために、砂、砂利、セメント、その他の資源が乱掘され、環境破壊が北京以外の土地で大量に起きているだろうことも、想像できる。

しかしそれでも、世界の人口の5分の1の人々が、かなりの高揚感と国に対する誇りを持つことのインパクトは巨大である。

これから、日本企業はかなり難しい道を歩まざるをえないだろう。世界の覇権が向かった後の中国は、容易ならざる相手になるからである。しかも、日本企業は中国大陸の需要成長をかなりあてにせざるをえない立場にある。

私は以前、20世紀の最後の25年間の日本の産業構造は、実質的に米大陸が決めてきた、と書いたことがある。別に米国政府のいいなりになったというわけではなく、それだけ米大陸の需要が日本の産業にとって重要だったのである。そして、21世紀の最初の25年間の日本の産業構造は中国大陸が決めるだろう、とも書いた。北京五輪の開幕式と四川からの報道は、その予想をますます強くするものであった。

20世紀の最後の25年間の米国は、日本にとってまだ楽な相手だった。向こうは日本の産業の実力を過小に見ていた。旧ソ連に対する安全保障上の理由で、日本を仲間に組み入れようとする政治的意図もあった。だから、日本に対するいわば「隙」があったのである。

21世紀の最初の25年間の中国大陸はそうではない。日本の産業の実力をよく知り、むしろそれを利用したいと思っている。安全保障の面でも、日本を同盟的な仲間にしようとはしないだろう。いってみれば隙がない。だから、日本企業にとって米国を相手にするときよりよほど大変な事態なのである。

しかし、極端な悲観論をとる必要はない。おそらく、日本は中国に対して、第2バイオリンという補完的立場に立つほかはない。アジアのオーケストラの中で第1バイオリンを日本が担おうと思った途端に、中国の反発に合うだろう。しかし、第2バイオリンをきちんと演じられれば、アジアのオーケストラの一員として機能できるだろう。

米国と中国は、ともに海を隔てて日本と接している。太平洋と東シナ海である。その海を隔てた2つの国の間を、世界の覇権が移っていくことは、日本にとって幸運なのかもしれない。少なくとも、遠く離れた国々の間で覇権が移動するよりも、知恵次第で対処のしようがあるからである。

太平洋の時代から東シナ海の時代へ、07年と08年の8月の出来事がそれを象徴している。