初代輸出、2代目工場、4~5代目はM&Aで
戦後もビール事業参入と同じ63年、メキシコにウイスキー工場を進出させる。ウイスキー工場の海外進出など世界に前例はなかった。挑戦したのは佐治敬三氏。当時は海外渡航に外貨の持ち出し制限があり、赴任する日本人スタッフたちは「二度と日本の土を踏むと思うな」と敬三氏から羽田で檄を飛ばされたそうだ。
ただし工場が高地にあったため、長期熟成の段階で樽からウイスキーが揮発してしまい出荷はできなかった。「サントリー最大の失敗」と今でも揶揄されるが、強引な工場進出を控え、M&Aによる海外展開へと切り替えたのはこの失敗が一因だ。ちなみにメキシコ工場では今、熟成を必要としないリキュールの「ミドリ」を生産している。
「昔と違い、これからもM&Aでグローバル化を進めていく。世界中の人々が多様にサントリーで働き、日本でやってきた利益三分主義などを世界でも継続することが理想」と信忠氏。
自動車などから比べれば、サントリーやキリンなど食品業界の海外展開は遅れている。国内では少子高齢化が急速に進んでいるだけに、海外でM&Aをサントリーが今後も実行する可能性は高い。
ただ現状では、約1兆6000億円を投じて買収したばかりの米ビーム社を、蒸留酒の世界展開にどう活用していくかが大きなポイント。北米市場に対し、創業者は輸出、2代目は工場進出、そして今回はM&Aによる挑戦となる。信忠氏と新浪氏との、“二人三脚”は速いピッチですでに始まっているといえよう。