京セラ、DDl、三田工業、JAL

私自身が間違っていることを指摘されれば、「なるほどそうだ、直そう」と、こちらも素直に受け止める。まさにコンパの場は、修業の場、自分を鍛えていく場でもある。また、一杯飲めばお互いに親しみが増すなどの効用もある。JALでは破綻するまで、そういう交流は軽視されていましたが、缶ビールを買ってきて、みんなで乾き物をつまみながら話をすることが今では定着しています。

京セラの設立から始まってDDI(現KDDI)、三田工業(現京セラドキュメントソリューションズ)、JALなど、いろいろな会社をつくり、また、再生を手がけてきた経験からも言えることですが、リーダーのあり方や叱り方はほとんど変わりません。当然、それぞれの会社には特色があり、社員の考えも違っています。

例えば、私が徒手空拳でつくった第二電電は、そのあと国際電話通信会社だったKDDと合併し、トヨタ系の携帯会社のIDOとも合併しました。KDDはもともと電電公社と袂をわかった、まさに官僚そのものの高学歴の会社だったし、IDOにもトヨタの方がいっぱい来ていました。

JALの場合にも、かなりの高学歴社員がたくさんいて、知識や知能という点では、レベルの高い会社でした。しかし、各社それぞれ特色があるにしろ、そこにいる個々の人たちの能力を最大限に引き出し、導きさえすれば、立派なリーダーを育てることができるのです。これは小さな組織でも大きな組織でも違いません。

リーダーになること、育てることに懐疑的な人もいるかもしれません。しかし、社会に出た当初は私自身が、実は、リーダーどころか社会人としての資質を欠いた人間でありました。

専門の化学は大学でよく勉強したし、社会に出てからの研究でも相応の力を発揮したと思っていましたが、なにせ薩摩弁しか喋れないのが弱点でした。会社に入って一番怖かったのは、標準語で応答しなければならない電話です。

電話が鳴ると「おい、誰か電話が鳴っているよ」と言って、他の人に出てもらうくらいの田舎者だったので、リーダーとしての資質を持っているとはまったく考えてなかった。

私の技術をベースに会社をつくっていただいたので、私がリーダーシップをとらざるをえなかっただけなのです。その後につくっていただいた会社を、どうにか軌道に乗せなければと思い、よいリーダーになろうと努力を重ねるしかなかったのです。