たとえば、遺稿をまとめた『力への意志』にこんな一節がある。

「この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。/だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。/そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい」

これは逆説的な書き方で彼の自己超克の思想を示したものだが、日常でも世間体で物事を選択したり、何も考えず周囲に同調したりという場面はよくあるだろう。

他人の意見や評価に委ねる生き方は、自分で考え選択するよりも遥かに楽だ。しかし、それを続けていると、やがて個性や独自性は失われる。無名の大衆の1人となり、人から利用されるだけの人間になってしまう。夢があっても実現は遠のくだろうし、そこに幸福があるとは思えない。

もし、幸福を掴みたいのであれば、まず自分に自信を持つことである。自信のない人間ほど他人の評価を気にしやすい。あるいは、自信のなさから他人を中傷したり罵倒したりして優位に立とうとする。ニーチェは「自分は自分の主人にならなければいけない」との言葉も残しているが、自分を認め、自分の価値観を信じ、感情のコントロールを含めてすべてを自分の判断で行えば、その先には自己肯定とさらなる前進という幸福があるはずだ。

もっとも、幸福とは内容が無数にある観念であり、一様に論じられないところが難しい。お金があれば幸せという人もいれば、やり甲斐のある仕事や家族との平穏な生活を幸せの最上級にあげる人もいる。

不幸の観念も人それぞれだ。「仕事にやり甲斐がない」「いくら働いても、期待するほどには報われない」などの理由で、「不幸だ」と嘆く人もいるだろう。

ニーチェは代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』で「どれほど良いことに見えても、『~のために』行うことは、卑しく貪欲なことだ」と書いている。