――村上春樹が謎に見えるのは、相手にしている人たちが実はわれわれじゃないから、というところもあるんでしょうか。IOCでのプレゼンとか、日本人から見るとちょっと引くところがありますよね。日本にいる私たちに向けてやっているわけではないので、あれはあれでいいわけですが。
【助川】最近の村上春樹をみると、そういうところはありますよね。書いている最中から作品が海外でどう読まれるかを考えているのは、村上春樹が日本文学史上初です。大江健三郎や三島由紀夫だって、まず日本のマーケットで売れた作品が翻訳されたということで、作家が書いている段階では日本の読者しか念頭にない。ところが村上春樹はいまや書けば絶対に各国語に訳されますから、書いている最中から最初から海外市場を意識していますよね。
――それは作風にも影響を与えるんでしょうか。
【助川】そうなりますよね。例えば日本の車だったら、最初から北米市場での受けも考えて開発するじゃないですか。国内ではそこそこでも北米市場でバカ売れすれば採算が合うとか、これはヨーロッパでメルセデスキラーとして出すとか、そういうところまで当然広げて考えますよね。日本の作家で、最初から海外で訳されて売れるという前提で書ける人は村上春樹が初めてです。そういう意味では今後の日本のコンテンツのあり方を考えるときに参考になる作家だと思います。
――この本には幻の章があるんですよね。
【助川】宮崎駿の章ですね。結局あれは書きませんでした。
――どういう切り口になる予定だったのですか。
【助川】おたく文化と絡めて、ですね。要するに、ハイカルチャーもカウンターカルチャーもなくなったあとに、おたく文化がのしていくときの、象徴的な存在が宮崎駿なんです。村上春樹はその新しい文化の流れに乗った人なんですよ。一見そうは見えないかたちで。2人の並行関係を見ていくと面白いんです。
村上春樹がデビューした1979年に宮崎駿が1作目の長編映画、『カリオストロの城』を撮っています。春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書いていたときに宮崎は『ナウシカ』。宮崎はあれでメジャーになったんですよね。『もののけ姫』が97年ですが、あれはオウムや地震のあった95年を受けて作られている。あのあたりからジブリ作品は国際的になっていきました。村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』や『アンダーグラウンド』で明らかに路線変更したころと重なります。で、『1Q84』が出た2008年に『崖の上のポニョ』。どちらも「自己模倣」などと言われ、評価が微妙だったわけです。そして今年は村上春樹が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を出し、宮崎俊が『風立ちぬ』を出して長編映画からの引退を発表しました。こうやって見てくるとクリエーターとしての並行関係があって、立ち位置が似ていると思ったんです。