――灰田君の父親語りはあの本のなかでも圧倒的です。

【助川】あの部分は海外向けに意識していると思います。灰田君が灰田君のお父さんに重ねて、父子どちらだかわからない感じで描いているのは、お能のイメージだと思うんです。お能は、日本の伝統文化の中でもとりわけ欧米でウケがいいですから。つくると父親もある意味で重なっています。親父につくるという名前を与えられて、自分は駅つくっている男の話でしょう。どちらの父子関係ももっと掘り下げて展開したかったのだろうし、できるんだろうけどしなかった。多分この次には父と息子が重なり合っていくというテーマを正面からやると思います。

――父子のテーマは欧米だとユダヤ系作家のお家芸といいますよね。

【助川】だからカフカにすごくこだわっているんじゃないですか。新作の短編『恋するザムザ』もカフカの『変身』が下敷きになっていますしね。カフカも父親に対しては葛藤を抱えていた人です。村上春樹の小説は父親が出てこないと言われていたけれど、だんだん出すようになって、でもなかなか決着はつかないんです。

――母親も出てきませんね、重要な役としては。村上春樹の小説には「親」という究極に面倒臭い人たちの影が薄いんです。父親は特殊なかたちではでてきますが、普通のファミリーが描かれない。本当に面倒くさいことの中で生きている人が読んでいると、なんだかなあ、というところがありますよね。

【助川】アマゾンで有名になった『多崎』のレビューも、結局そこを突いているわけですよ。

――そういう意味で村上春樹の小説は非常に特殊な世界なのかもしれません。

【助川】結局、カフカの小説みたいに、なんだかわからないけど捕まっちゃいました、みたいな話にどんどんなっていくような気がしますね。カフカの『掟の門』とか『城』なんかは決定的なゴールに延々とたどり着かない話なんですけど、村上春樹の最近の小説の傾向は「お父さん」というゴールになかなかたどり着けなくて、あっち行ったり、こっち行ったりっていうことになっていますね。