だが、生産現場で連日、トラブルが起きた。日本なら、同じ製品のラインで豊富な経験を持つベテランがいるから、すぐに改善できるが、経験のない集団の米国ではそうはいかない。2年たっても毎日のように設備が止まり、生産目標に届かない。

そこで、1つの勝負に出た。米国人部下たちと相談し、「60日間、ライン停止なし」の目標を決める。60日間ゼロなら、ある月が「月間ゼロ」となる計算だ。達成したら、祝宴を開く。実現を疑問視する声もあったが、目標さえ明確になれば、意外に「燃える集団」となる米国人だ。案の定、彼らは燃えた。ただ、合理主義だから、「異常なし」の日が続くと、「何で、こんなことを毎日やるのか」と手を抜く。すると、どかっとトラブルが出る。彼らの胸に点いた火を消さないために、あることを説き続けた。「トラブルの原因の徹底的な究明をやろう」。

原因が把握できなければ、その場しのぎの策が繰り返され、同じトラブルがまた起きる。原因をつかみ、すぐに正せば、「トラブルゼロ」も夢ではない。やがて、工場のあちらこちらに「今日はゼロ何日目」と書かれ、半年余りで「月間ゼロ」を達成する。工場近くの中華料理店に、工務・保全部門の約20人を招き、祝いの昼食会を開いた。

「小人之過也必文」(小人の過つや必ず文る)――徳や器量のない人間は、失敗をすると、必ず言い訳をして取り繕うとの意味で、『論語』にある言葉だ。取り繕うだけでは本当の原因がつかめず、同じ失敗を繰り返すから、原因を把握して打つべき手を打て、と説く。この教えに、日覺流はまさに重なる。

1949年1月、兵庫県三木市で生まれる。父は野菜や牛乳などの卸しを営んでいた。姉が3人と妹が1人で、自然に恵まれた地で育ち、中学時代はバスケットボール部ですごす。県立三木高校から東大理科I類へ進み、自動車が好きで、船用機械学科でエンジンの設計を専攻する。

大学院で産業機械工学を学び、大きな工場やプラントを建設できる会社への就職を目指す。高価な外国の生産設備を買うことは厳しかった時代。設備をすべて自社でつくっていた東レを選び、73年4月に入社。人事担当に研究所へ配属と言われたが、「生産現場へいきたい」と申し出て、大津市にある滋賀事業場の施設部工務課に配属された。工務部門は、設備の開発も手がける中核的な存在。戦後から80年代の社長6人のうち、5人までが工務出身だ。