年間1000人に面談で問いかけ

4年目に岐阜工場へ転じ、「ルミラー」の生産ラインを担当する。ビデオの普及が進んだときで、毎年のように新ラインをつくり、ソニーやTDKがどんどん製品を受け取りにきたが、品不足が続く。このとき以降、三島や米国、フランスを合わせて、13ものラインを手がける。

米国勤務を終えた後、次回触れるフランスでの建設へ向かう予定だったが、計画がずれ込み、三島工場ですべての事業につながる工務技術課長を務め、待機した。そこで、想像もしなかったことに遭遇する。43人いた部下に、仕事をどう進めているかのメモを出してもらい、それに沿って面談を重ねると、他部門の要請にただ従っていただけの部員が多い。問題が起きても、原因の徹底究明までは至らず、対症療法ですます傾向もある。当然、米国時代と同様に「過也必文」を戒める。

2010年6月、社長兼最高執行責任者(COO)に就任。翌年、最高経営責任者(CEO)にもなる。社長内定の記者会見で「全社員があるべき姿を目指し、その実現に何をやるべきかを考え、やっていく」と確認した。価値観が違う外国勢とは、意志がなかなかつながらない。ベクトルをどう合わせていくか。日覺流は、国内外の生産、販売の現場を支えている面々の話を聞き、相手がなぜそう考えているのかを、徹底的に理解することから始める。拠点を回り、年間に900人から1000人ぐらいの話を聞く。

相手が考えていることの根っこがわかれば、「そこは、こう違う。あるべき姿はこうだから、やはり、こうすべきだよ」と説く。相手が間違っている、という意味ではない。気づいていなかったか、そんな発想に至らなかったのだ。それを、頭ごなしに叱っては、前へ進むことができない。「リーダーシップとは、権力で命令してやらせることではない。納得させて、やらせることだ」――「過也必文」と並ぶ、戒めだ。

すべての製品の元となる素材は、社会を根本から変える力にもなる。2011年の9月、東京・丸の内で第2回東レ先端材料展を開いた。そこに、車体を炭素繊維でつくったスポーツカーを置いた。東レのコーポレートカラーである真っ青な車だ。別に、自動車もつくろうというのではない。試作品をつくり、自動車メーカーにみてもらい、どう炭素繊維車がつくれるかを考えてもらう。

自社の先端技術をそういう形で披露し、よりよき用途を広げてもらうことは、東レのDNA。かつてナイロンを開発したときも、いい用途がみつからず、ミニスカート普及の先導役となった英国人モデルのツイッギーを起用し、「例えば、こんなのはいかがですか」と世に問うた。

物不足の時代とは違い、いま、多様な品があふれている。そのなかで全く新しいものをつくることは、難しい。でも、「こういうものがあればいいのにな」というのが、必ずある。会社のOBに「まだ繊維などをやっているのか」と言われるが、同じ繊維でも、中身は全く変わった。水や空気、熱などをコントロールする最先端の機能を持つ。日本の「ものづくり」の底力は、こういうところにある。「過也必文」になることなく、調べ抜き、考え抜くことを続ければ大丈夫だ、と確信する。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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