――失敗から何を学んだか。

【國分】厳しいときは楽観し、順調なときは楽観しない。人間の本性はその逆で、順調だと楽観しやすい。私も30代のころ、怖いものなしで状況の悪化など考えもしなかった。特に日本人は意思決定プロセスで、元来議論を好まないうえ、議論しても起きてほしくないことには深く触れず、何とかなるだろうと暗黙の了解ですましてしまう傾向がある。一方、アメリカではインテリジェンス、つまり情報戦に注力し、ある仮定に基づいてあらゆる情報を収集し、分析し、悪い事態も想定する。私を含め、日本人はインテリジェンスが不得意だからこそ、楽観を戒めるのだ。

もう1つはリーダー像だ。逆境下でも絶対逃げず、先頭に立って部下に背中を見せる。会社を清算するときも、30人弱の従業員の雇用を守るため、再就職先を探して回った。当時の仲間とはその後もつきあいが続き、前回再び赴任したときは、新規ビジネス開拓を手伝ってくれた。嫌な仕事は責任をとる人間が行う。問題が起きれば謝りにいくのは責任者の仕事で、社長の「しゃ」は「謝」でもあると思っている。

――目指すのは、三菱商事、三井物産と並ぶ、スリーエム復活か。

【國分】従来は同業他社を意識すればよかったが、最近は日本の商社同士がまっ向からぶつかる機会が減り、各分野でグローバル企業を相手にする場面が多くなっている。当社は電力部隊が強いが、世界的な電気事業会社が競合相手に出てくれば戦わなければならない。力を入れる食糧ビジネスも、同業他社以外にも、穀物、肥料、畜産など、それぞれ別のコンペティターに勝っていかなければならない。結果、国内でもトップスリーに入るということだろう。

グローバル企業相手の競争で必要なのがインテリジェンスだ。現場で行動しながら知識と情報を集め、分析し、戦略を立て、実践する。順調なときでも楽観せず、リーダーは逆境でも先頭に立つ。私自身、トップになった今、若き日の原点から学んだ成果が問われることになる。

丸紅社長 國分文也
1952年、東京都生まれ。75年慶應義塾大学経済学部卒業、同年丸紅入社。05年執行役員、08年代表取締役常務執行役員、10年代表取締役専務執行役員、12年代表取締役副社長執行役員を経て、13年より代表取締役社長。
[出身高校]私立麻布高校[長く在籍した部門]エネルギー部門[座右の書]司馬遼太郎など歴史物[座右の銘]逆境下で楽観し、順調時に楽観せず[趣味]靴磨き
(勝見明=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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