最高益更新、構造改革の真っただ中、イノベーションの途上……。それぞれの局面で求められているのはどのようなリーダーなのか。

昨年末の政権交代以来、景気回復への期待感が高まっている。日本全体が元気を取り戻そうという中で経営者に期待されるのは、自社の着実な成長。今年も多くの企業で新社長が就任した。

プレジデント誌では、そのうち11人のトップに単独インタビューを行った。インタビューを通して見えてきたのは次の3つである。

1つは出身部門が多様化していること。営業、経理、整備、生産管理など多岐にわたっている。さらに海外子会社の社長を経験した人も多い。幅広い知見が求められていることの表れといえる。

2つめは、仕事人生がすべて順風だったわけではないこと。丸紅の國本文也社長は30代で自ら立ち上げた企業の倒産を経験、全日空の篠辺修社長は大型交渉決裂の窮地に陥ったことがあり、コマツの大橋徹二社長は赤字だった米国子会社への出向というキャリアを持つ。答えのない課題に取り組んだ経験は、経営者に求められるさまざまな能力を育てるのだろう。

最後は、普通のビジネスマンと同じように「会社を辞めたいと思ったこともある」「社長になりたいと思っていたわけではない」と話すトップが多かったことだ。

インタビューを通して、新社長11人の人物像を明らかにする。

丸紅・國分文也社長 インタビュー

大手商社各社が減益に陥る中、2期連続最高益を更新した丸紅。次なる飛躍を託された國分文也社長は、2010年から2年間の米国丸紅社長時代、現場を飛び回り、実力強化をなし遂げた。ただ、30代での最初の赴任時は、社内起業した会社が閉鎖に追い込まれ、失敗を経験した。ダークホースから社長に就いた男は失敗から何を学び、いかに采配に活かそうとしているのか。

――1回目のアメリカ時代の失敗が「原点」になっているとか。
丸紅社長 國分文也氏

【國分】入社2年目に石油トレーダーの仕事に目覚め、30歳で世界の石油取引拠点ニューヨークに赴任した。生意気だった時期で、会社の指示など聞かず、仕事が軌道に乗ると、現地のトレーダーと一緒に石油取引会社を設立した。当初は順調で毎日が楽しかった。日米の価値観の違いも肌で感じた。彼らは仕事を通していかに自分の価値を高めるか、視点が会社より個人にある。その後、赴任したシンガポール、香港でも、頭の中は欧米人的な人間が多く、アメリカでの経験が役立った。ただ、順調だったのは1980年代までで、91年に湾岸戦争が勃発すると相場が荒れ続け、赤字が拡大。打てる手を全部打ってもどうにもならず、会社を清算せざるをえなかった。小さな会社でも生き物のように感じ、消えると思うとつらかった。仕事で初めて自分が主役になれる30代をアメリカで戦い抜いた10年は、私の1番のベースになっている。