形勢は、反対派に傾いた。気をよくしたのだろう、分割・民営化反対の急先鋒だった役員が、新聞記者に口を滑らせた。「もし分割・民営化の最終答申が出ても、われわれは表立っては反対などしない。従うふりをして、法律にする段階で骨抜きにしてやる」。役員は知らなかったのだろうが、その記者は内々に親しくしていた1人。話の内容をメモにしてくれたので、信頼感で結ばれていた第二臨調の幹部へつなぐと、官房長官から首相へと渡り、総裁以下の更迭が決断される。

毎週2、3回開く総裁室での会議には、課長補佐級の若手少数を集めた。帰京以来主宰し、第二臨調や三塚小委員会で分割・民営化への様々なことについての「原案」を書き、固めていった勉強会のメンバーだ。債務や資産の切り離し案や、要員の削減案などを、固めていく。

国鉄では、物事を決めるには補佐会、課長会、局長会、常務会を経て理事会にかけるので、驚くほど手間がかかるが、こちらは別世界のように意思決定が早い。次々に「総裁命令」が出た。反対派はあわてた。意を受けた秘書課長らが「会議に入れてほしい」と言ってきたが、「部屋が狭くて無理」と押し返す。

ただ、反対派も、簡単には諦めない。政治的な妨害に加えて、勉強会をつくって以来あった尾行も続く。使ったタクシー券も、1枚ずつ、行き先をチェックされる。自分がいた職員課にも敵が送り込まれ、電話も聴かれていた。だから、臨調幹部や官邸への報告や連絡には自ら出向いたし、タクシーは別のところで降りた。職場と外との電話のやりとりには、偽名と符丁も使った。スパイ小説もどきだが、すべて実話だ。

分割・民営化では、JR東海へいった。新幹線も運行する東日本、東海、西日本の本州3社、北海道、四国、九州の三島会社、そして貨物の計7社に分割する案は、自らが率いた勉強会で早くから描いていた姿。だから、どこは何をすべきかは、急務な策も長期的に打つべき手も、頭に入っていた。行き先がどこであっても同じ、すぐに対応できた。

「男児欲為千秋計」(男児は千秋の為に計らんと欲す)――立派な男子は、長い年月のために大計を樹立することを目指せとの意味で、中国・清の詩人である袁枚の作品にある言葉だ。目先をとり繕うのではなく、常に将来を見据え、改革の方向を定めて経営の舵をとる葛西流は、この教えと重なる。