己の中心に理念や哲学はあるか

アサヒグループHD社長 泉谷直木氏

私は新しい人材育成論を展開しようと思っている。従来の育成論が「あるべき論」であったのに対し、会社が社員に求めている能力を役割、等級にわたって絶対値で示すのだ。

経営目標を達成するためには機能と能力の両方が必要である。経営者がそれを明確に示し、社員がキャリア開発に取り組む。それらが適合したとき、初めて社員と企業の成長が一致するが、現在の人材育成論は両者が噛み合っていない場合が多々生じている。

たとえば、グローバル人材にはどういう能力が求められるのか。それを考えるとき、グローバルの現場も知らず本社の机の上で「かくあるべき」という議論をしてもまったく意味がない。

グローバル企業の経営者と日本企業経営者の違いを見てみると、前者は常に経営課題を明確に認識し、意思決定が戦略的できわめてスピードが速い。グローバル人材はそんな経営者と渡り合う、あるいはその下で働く人である。まずこの点を押さえなければならない。

一方で相手企業の歴史や風土、文化をよく理解して違いを受容する能力も必要である。さらに、もし我々が相手を買収したケースでは、違いを受容しつつ我々の理念を組織に浸透させなければならない。とくに幹部層として赴く場合には、株主としての立場とビジネスパートナーとしての立場、一緒に思考していく立場という3つの立場に1人で立てなければいけない。

「国際感覚が豊か」「戦略構築力がある」といったありきたりの言葉ではなく、どこにいるときはどういう役割でどんな素養が必要かと具体的な基準を定めていかなければ、せっかくの人材を送り出しても「海外では使い物にならなかった」という事態も起こりうる。別の言い方をすればミッションを明確に与えないまま「おまえ、何とかしてこい」と全部個人任せにしてはいけない、ということだ。

グローバルに出ていくと初めての部下、商品、お客様を相手に仕事をすることになる。国内で慣れた部下、商品やお得意様と仕事をするような、いわゆるコンフォートゾーンでするような仕事は許されなくなってくる。常に自分自身を再教育し、イノベーションを起こしていく意欲が必要だ。しかも、その中心にはわが社の理念、哲学という柱がなければいけない。

そうした意欲のある人に、より多くの支援を提供するのは当然だろう。日本人のチャンス論は棚からぼた餅式で何の努力もせず「私は恵まれていない」という人が多いが、機会をつかまえるのは個人の能力である。私はどんどん機会を提供するので、社員にはどんどん手を挙げてほしい。

刺激を与えていかないと組織は平均化してしまい、競争に勝てない。勝つためにはいろいろなところにずば抜けた力を持つ人間をつくる必要があり、各部門に私よりできる人がいっぱいいるのが私の望みである。十種競技なら私の点数が一番高く金メダルを取るかもしれないが、個々の種目においては私よりもっと高い記録を出す人がいる。そんな集団が一番強いのだ。だから、各部門で私を超える社員をつくることが私の社員教育の基本方針である。もしすべての種目で私を超える人が現れたら、その人に社長の役割を渡そう。