阪神・淡路大震災で女性の死者数は男性よりも36%多かった
地震、津波、台風などの自然災害が毎年のように日本列島を襲います。この災害時に、男性と女性の死亡率に差異が生じていることをご存じでしょうか。
阪神・淡路大震災(1995年1月17日発生 M.7.3)では、地震とそれに伴う家屋倒壊や火災によって多くの人命が失われました。全国の死者数は6434人、兵庫県では6402人で、身元が分かった方のうち女性3680人、男性2713人で、女性の犠牲者がおよそ1000人多かった注)*のです。
比率で見れば、年齢別では10歳未満(0~9歳)を除き、すべての年齢層で女性の死亡割合が高く、原因別では建物の倒壊による圧死等(88.3%)、焼死(12.8%)でした。全体の比率で女性の死者は男性より36%多く、そこに生活構造的要因が潜んでいたという見方があります。住宅の耐震性が不十分であったゆえの「住宅災害」の側面があり、なかでも「街中の古い住宅に身を寄せ合うようにして住んでいた高齢女性」の深刻な被災がありました。
東日本大震災では、被災三県、岩手、宮城、福島における死者数は女性8363人、男性7360人(2012年3月11日時点、平成24年版男女共同参画白書)で女性の死亡者が多かったことが知られています。三県の人口と男女別・年齢階級別死者数を比較すると、人口に占める割合に比べて、男女を問わず高齢者が多く犠牲となったこと、さらに女性では、80歳以上の人口は1割に満たないものの、死者数の4分の1以上を占めました(平成24年版男女共同参画白書、同上)
高齢期においては平均寿命の差で女性人口の割合が高いこともありますが、男女の死者数の差が大きくなっています(80歳以上の死者数は女性2091人、男性1290人)。年齢階層別では男性の死亡者は20代、30代、60代でやや多いです。
死亡率の差異については年齢・性別・階層などを視野に丁寧な分析が必要ですが、世界的には、災害時に女性の死者数が男性のそれを上回る傾向が指摘されています(UNDDR、UN Women)。ある分析では、災害時「女性と子どもは男性に比べ死亡のリスクは14倍に及ぶ」との指摘があり、たとえば2004年インド洋沖津波の死亡者の70%は女性でした(UNDP)。
自然災害時、とっさの避難や水泳に不慣れといった体力面、子どもや高齢者のケア役割のための逃げ遅れ、また被災時の在宅率の高さといった要因が考えられます。災害時には「より弱い立場の人々にしわ寄せがいく」見えない不均衡が浮上します。それゆえ、社会的脆弱性とジェンダーの視点を取り入れた「備え」が肝要です。それは多様な人々の状況、ニーズ、資源等をふまえた柔軟で効果的な災害対応の戦略を示唆します。
避難所で女性が直面する数々の困ったこと
高齢層で女性のほうが死亡率が高いことに加えて、女性たちは避難所で恒常的に「困ったこと」に直面しています。規模と範囲において「未曽有の」災害であった東日本大震災を振り返りましょう。
2011年3月11日14時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生、東北の太平洋沿岸に大津波の被害をもたらしました。死者・行方不明者は2万人を超え(2万2318人 2024年 防災白書)、避難者は全国で最大47万人、翌2012年で32万7000人に及び(復興庁)、多くの人が住まいや生活基盤を失いました。東日本大震災の地震・津波、さらに東京電力福島第一原子力発電所事故の発生により複合的・長期的大災害の様相を呈し、いまなお人々の暮らしに大きな影を落としています。
宮城県を中心に当時の記録をまとめた『女たちが動く』(2012)からは、避難所で女性や少女たちが直面した困難の数々が読み取れます。
たとえば、着替えの場所がなく毛布をかぶって着替えた。生理用のナプキンを求めたが避難所の男性管理者から「公平な配分」を理由に必要な分をもらえなかった。スキンケアができず肌がガサガサ、化粧品はぜいたく品と思われそうで要求できないなど「がまん」の日常化がありました。
がれき処理は有償労働であるのに対し、食事の世話は無償である上に、避難所によっては性別役割分担が明確で、食事担当には女性被災者が割り当てられました。三度三度の食事の支度に追われ、時間制の自衛隊の入浴時間に間に合わず入浴をあきらめた日もあったとのこと。また、別居中の夫が家も職場も津波で失いやむなく受け入れたが、DVが深刻化した事例も記されています。
注)* 相川康子2006「災害とその復興における女性問題の構造―阪神・淡路大震災の事例から」国立女性教育会館研究ジャーナル vol.10, pp.5-14.
天童睦子 2023『ゼロからはじまる女性学―ジェンダーで読むライフワーク論』世界思想社, p.101.

