不快なオッサンになっていないか

「つまらない」と、ひと口に言っても、人間としてつまらない場合、それと話がつまらない場合があると思うんです。

前者については、家庭で偉そうにしてるんじゃないですかね。世間を眺めてると、自分のことは棚に上げて、なんでこんなにオッサンって不快なんだろう? と感じることがあります。

東京から新幹線に乗っていて、名古屋に着いたらオッサンがシートは倒しっ放しだ、食べ終わった弁当は網に入れっ放しだ、って状態で降りていっちゃったり。これからそこに座る人がいることを慮れないわけですよ。

あと自分がいかに成功を遂げたか、上から目線で長々と自慢話したりね。「あなた、会社で偉いかもしれないけど、世間じゃ別に偉くないですから」と言いたくなりますよ。そういう価値観を家庭に持ち込んで、「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ?」なんて態度取ってると、奥さんも「私だって家事して貢献してるのに、なんて人なの!」と旦那の人格を否定したくなるはずです。

そうならないためには、人から突っ込まれるような空気があればいいんじゃないですかね。

たとえば僕の場合、「落語家さんだから、小粋な蕎麦屋を知ってるんでしょう?」と言われても、結局、立ち食い蕎麦や、日高屋の野菜タンメンが好きだったりする。企んでやるべきではないですけど、そういうスキは人を安心させますよね。

全身をピシーッと決めて、靴脱いだら靴下に穴開いてる人って、チャーミングじゃないですか。本来やるべき仕事は汗水流して頑張っているのに、それ以外のことになるとだらしないんだよねえ、というほころびがあるとかわいく見えてくるものです。

つまり自分を落とすというか、いい意味でバカになる。それができれば、同じ「つまんない」でも、「あんたって本当につまんない人よね……」という冷え冷えしたニュアンスから、笑いをまじえた「お父さん、いつもつまんないんだから!」に変わりますよ。これは何の問題もありません。「えっ? そうかあ~」なんてとぼけながら、頭をボリボリかいてればいいんです。