女たらし、ロリコン、マザコン、回避依存症、自惚れ、官僚体質、リーダー失格、家庭崩壊、ネグレクト、美少女ゲーム廃人、アラフォー自分探し……。『源氏物語』を、「なってはいけない」大人の事例集として読み解いた話題の新刊、『光源氏になってはいけない』から、選りすぐりの2本をお届けします。

大人になりたくないマザコン男

この章でお話しするのは、源氏物語の2番目の巻である帚木巻(ははきぎのまき)に書かれている「雨夜の品定め」と呼ばれる有名な場面についてです。

光源氏はこのとき17歳(満年齢だと15~6歳)。父である桐壺帝のはからいで、左大臣家の姫君、葵上(あおいのうえ)を正妻に迎えたものの、夫婦仲はしっくりいかず、慣れ親しんだ宮中にばかり寝泊りしています。

ここで注意しておきたいのは、普通の皇子や貴族にとっての「宮中」と、光源氏にとってのそれは全然、意味がちがうということです。当時、天皇の子供は、母親の実家で育てられるのが普通でした。ところが光源氏は、母と祖母の両方に幼くして死に別れています。このため、宮中に引き取られ、父帝から直接、教育を受けました。

光源氏は中年にいたっても、

「自分は父親の手で、宮中で育てられたので……」

というせりふをしばしば口にしています。母方に親族のいないさびしい身の上であったということと、父帝に溺愛された特別な子どもであったこと。このふたつを同時に物語るのが、この「宮中育ち」という事実です。

光源氏が、父帝の妃である藤壺に恋するようになったのも、「宮中育ち」であることと切り離せません。普通の皇子は、母親の実家で育つので、自分の母親以外の妃と交わる機会はありません。ところが光源氏は、父帝が唯一の保護者です。いつも父帝にまとわりついていたために、光源氏は多くの妃たちと、間近で接することになりました。亡き母に生きうつしといわれる藤壺と男女の間柄になったのも、そういう事情があったからです。

したがって、

「正妻である葵の上のもとにはあまり行かないで、宮中にばかりいる」

というのは、「成人すること」と「ひそかに慕っている藤壺から遠ざけられること」を同時に拒否していることになります。逆にいえば、藤壺への憧憬は、いつまでも「特別な皇子」でいたい、という欲望と結びついています。

光源氏にとって成人するということは、「帝に溺愛される皇子」から「ただの貴族」へと、転落させられることを意味していました(光源氏は、父帝の意思により、成人と同時に臣下に降ろされます)。当時の最高権力者である左大臣が、義父として後ろ盾になってくれたとはいえ、「成人すること」が、光源氏にとって受け入れがたい現実であったことはまちがいありません。

現代の社会学では、「8歳の頃までに体験したことが、人間の一生を決定する場合が多い」

という説が唱えられています。『機動戦士ガンダム』シリーズで有名な、アニメーション監督の富野由悠季も「11、2歳ぐらいまでに好きになったことが、その人の作品づくりの根幹を形成する」といっています。光源氏の一生も、「宮廷育ち」という幼い日の特別な境遇から派生してくることがらに、大きく左右されていくことになります。