ハードな文官、お気楽な武官
そうやって宮中でばかり過ごしていた光源氏のところへ、葵上の兄弟で、光源氏にとっては義理の兄にあたる頭中将(とうのちゅうじょう)が訪ねてきます。「頭中将」という呼称は、葵上のお兄さんの固有名詞のようになっていますが、実は役職の名前です。「蔵人頭(くろうどのとう)と近衛中将(このえのちゅうじょう)を兼任している人」がすなわち「頭中将」です。
「蔵人」というのは帝の秘書官のことで、「蔵人頭」は幾人かいる蔵人たちのリーダーです。蔵人頭には当然、帝の信任が厚い人物でなければ就任できません。
また、このころ貴族が就く官職は、文官と武官とに大きく分かれていました。文官は、公式文書を作成したり決裁したりするのを担当します。当時の公式文書はすべて漢文で書かれていますから、漢文の読み書きができないと文官は勤まりません。
いっぽう、このころの武官は、実際に戦争をすることはまずありません。儀式に参列して一定の役割を果たすのが、実質的な仕事です。
ですから、名門の子供を親の七光りで出世させようというとき、武官のポストを与えるのが普通でした。家柄がいいだけで、これといった能力がない人間でもこなせるのは、文官より武官のほうだからです。こうしたわけで、若くして近衛中将になる人というのは、「名門のお坊ちゃま」や「未来の大臣候補」ばかりでした。ちなみに、この帚木巻の時点での、源氏の官職も近衛中将です。
「頭中将」というのはつまり、何重もの意味で「超エリート」が就くポストだったのです。そんな頭中将が光源氏のところにやってきて、恋に関するおしゃべりを仕掛けてきます。頭中将の年齢は、だいたい20歳ぐらいといったところでしょうか。
この「若きお坊ちゃまコンビ」が恋愛談義をしているところへ、左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうのしきぶのじょう)という遊び人で有名なふたりがやってきます。左馬頭はおそらく20代半ばぐらい、式部丞も同年輩と考えていいでしょう。当時は、40歳になると「老人」で、60歳前後で亡くなる人が多かったので、20代の半ばというのは、現在ならばだいたい30代前半に相当します。
ふたりの「うら若きスーパーエリート」と、青年期を終えようとしているふたりの「恋の手練れ」――そんな4人による「理想の女性をめぐる座談」がはじまります。5月雨の降る夜のことでした。この場面が古来、「雨夜の品定め」と呼ばれるのは、雨の降る夜におこなわれた「女性を品評する座談」を描いているからです。