1990年までの万博は宗教系パビリオンが花盛りだった
筆者と万博との関わりは、これまで2度ある。初めて万博を訪れたのは茨城県で1985年に実施された「科学技術博(つくば博)」。そして、大阪府で1990年に開催された「花と緑の博覧会(花博)」である。
今となって驚くのは、花博では宗教団体によるパビリオンが存在していたことだ。例えば、仏教系新宗教の霊友会による「いんなあとりっぷ館」というパビリオンがあった。展示内容は宗教色をあまり出さないものだったが、日本の新宗教が、国際性・公共性の高い万博に単独出展していたのは驚きである。
記録を辿ると、1970年、日本(アジア)で初めて開催された大阪万博はさらに宗教色が豊かであったようだ。富士通などの企業グループで形成される古河グループはなんと、86メートルの「七重の塔」のパビリオンをつくった。東大寺の大仏殿が建立された奈良時代当時に存在した、七重の塔を再現したものという。
現存する仏塔で最も高いものは東寺(京都)の五重塔で55メートル。また、岡本太郎が制作した大阪万博のシンボル「太陽の塔」は70メートルだから、いかにその規模感が大きかったかがわかる。
大阪万博では世界的な教団も意欲的に参画した。キリスト教系新宗教の末日聖徒イエス・キリスト教会(旧モルモン教)もパビリオンを出展し、「幸福の探求」をスローガンにした。ほぼ布教行為とも言える内容だったが、当時は好意的に受け取られていたようだ。同じ大阪万博では宗教団体ではないものの、バチカンが「キリスト教館」を出していた。こうして振り返れば、花博の頃まで(1995年にオウム真理教事件が起こる前まで)は万博の、宗教にたいするアレルギーがさほどなかったことを示している。
1970年の大阪万博も1990年の花博も、日本の人口増加に比例して宗教人口も増え続けていた時期だ。万博の開催に重なるように1970年代と1990年前後には、精神世界への探究がブーム(第一次・第二次精神世界ブーム)になっていた。
第一次精神世界ブーム時には降霊ゲーム「こっくりさん」やベストセラー本「ノストラダムスの大予言」などが流行り、第二次精神世界ブームにはテレビバラエティで、オカルト番組が編成された時期にあたる。多国籍の人が多数集う万博は、宗教の教線拡大の絶好の機会だったのだろう。