「まだらボケ」の母親
一方、母親は「海馬縮小型認知症」と言ってもいわゆる「まだらボケ」の状態。昔のことは覚えていても、直近のことを忘れてしまう。父親のことは徹底して“見えないふり”“聞こえないふり”をしていた。
父親がデイサービスに行き始めた2016年頃から、食品の管理ができない。清掃が行き届かない。お風呂に入らないので声がけする……などのサポート始める。
「母はプライド高く外面が良くて、自分ができなくなったことを認めたくない人で、気に入らないことがあるとすぐ怒ります。母にもデイサービスを勧めたのですが、ケアマネジャーと、医療従事者を目指していた次女が『専門家の意見を聞いて。一日中TV見て過ごすと足腰が弱って近い将来歩けなくなるよ』と言ってようやく通ってくれるようになりましたが、説得に3年もかかりました」
2019年8月から週1回、デイサービスへの通所を開始したものの、毎回「私はなぜあんな年寄りばかりの所へ行かなきゃならないの? 行くのが嫌だ」と文句ばかり。
しかし翌年、通所先で理学療法士に、「脊椎狭窄症と膝関節変形がありますよ。もう少し運動量を増やさないと歩行が困難になります。週3回通いませんか?」と言われると、週2回に増やすことができた。
「父がサ高住へ入居したことも理解できていませんでしたし、2023年2月に夫を亡くしても、悲しむこともなく淡々としていました」
胡麻さんは、2023年に父親の四十九日を終えた時、「一度母から離れよう」と決意。2023年5月に母親の週2回のデイサービスに加え、ヘルパーさんを導入して実家を出、一人暮らしを始めた。
「母から離れたかったんです。怒る認知症さんは、父よりも余計に疲弊します。実家に戻ってから8年。父を送った後、やり遂げた感や私自身の疲れ、虚しさなどが急に押し寄せてきて、それらが去った後、つきものが落ちたようになり、ふと、『これからはもっと自分のことを大切に、好きなことをして生きていいんじゃないか?』と思ったんです」
胡麻さんが「実家を出る」と言うと、医療従事者として働いていた次女が「それなら自分も通勤先まで近いところにアパートを借りて一人暮らしする」と言って同時期に単身生活となった。