家庭を顧みない両親
北海道地方在住の胡麻由芽さん(仮名・50代)は、銀行員の父親と製造系の会社員の母親のもとに、第2子として生まれた。4歳上に兄がおり、戦争未亡人の父方の祖母と同居していた。
「父は仕事柄コミュニケーション能力が高いですが、家庭を顧みず、土日も接待という名の趣味に没頭する自分ファーストな人。母も私が物心ついた時には正社員でバリバリ働いていて、常に帰宅は19時や20時。夫に頼らなくても何でもできるという自信のせいか、パワフルでプライドが高く、『私は忙しくて必死なんだから、自分たちでちゃんと勉強とかしなさいよ!』とガミガミ言うだけで、休みの日は息抜きに実家ばかり。そんな両親なので、愛情を受けたという記憶がほとんどありませんでした」
母親は産前1週間、産後3週間の産休・育休を経て、仕事に復帰。胡麻さんは生まれた時に「先天性股関節脱臼」があったほか、生まれつき体が弱くて入退院を繰り返したため、母親は胡麻さんが3歳くらいまでは子連れで通勤し、胡麻さんを会社の託児所に預けて働いた。
しかし、その後の胡麻さんを育ててくれたのは父方の祖母だった。祖母は田畑仕事をしながら家事をし、胡麻さん兄妹を育てた。
いつの頃からか、胡麻さんは両親が不仲だということに気づいていた。家族そろって食事をすることも、旅行に行くこともない家庭だったが、幼い頃は近所の幼馴染や祖母の友だち達と過ごしていたので寂しさはなかった。
「家計は、遺族年金と年金収入のある祖母、会社員の父・母の3人それぞれ独立していました。裕福な家庭だったと思いますが、子どもにお小遣いをあげる考えがなく、各自独立していたため、当時現金で渡していた給食費の入れ忘れがたびたびありました。そもそも会話がない家庭だったため、大人たちはみな『誰かが渡しただろう』と思い込んでいたのです」
父親は教育に無関心。母親は忙しさから子どもと向き合う時間がほとんどない。小学校行事は、主に祖母が対応してくれた。
「私が小3〜4の時の担任は、私の父が小学生だった頃の新任教師で、4歳上の兄も担任だったことがありました。そのため、『お父さんやお兄さんは賢かった。あなたは本当に頭が悪いね。本当にあのお父さんの子なの?』と嫌味を言われました。給食費を忘れて4キロの距離を走って取りに帰らされたり、同じ服ばかり着て不潔だと言われたり、前髪が長いと言ってガタガタに切られたこともありました」
それを知った祖母は担任と話をしてくれたが、その翌朝、胡麻さんは担任から呼び出され、「家の人に私のことを何て言ったの? 告げ口して! 担任の事を悪く言うのはダメなことなんだよ。よーく覚えておきなさい」と睨まれた。
翌日から胡麻さんは不登校になった。何があったかは話さず、ただ「学校に行きたくない。お腹が痛い」と訴えたが、母親も何があったのか聞かず、無理やり車で学校に連れて行くだけ。胡麻さんは学校へ行くフリをして押し入れに隠れたり、近所の叔母の家に隠れたりして、3〜4年生の約2年間をやり過ごした。
その担任は、胡麻さんが小5になる年に他校へ転勤になり、1年後にクビになったという。胡麻さんの他にもあまり勉強が得意でない5人ほどが目をつけられ、嫌味を言われたり廊下に立たされたりと、理不尽な扱いを受けていたようだ。問題が明るみになって他校へ飛ばされ、他校でも同様なことがあり、お払い箱になったのかもしれない。