自分のことを大切に
現在、胡麻さんは教育系の会社に転職し、大好きな猫2匹と暮らしている。
「一人で奮闘して潰れた私の姿は、子どもたちに深い傷を負わせてしまったと自分を責めたこともありました。でも子どもたちは父親を見て、『あんな親にはなるまい』が大前提で、『家族ができたら自分と家族を大切にしたい』という思いが強いです。私が子どもたちに教えてきたことは、『失敗しても、それは経験という宝となる。人生何があるかわからないから、自分が元気であることが必須!』です。私はつらい過去は変えられないし、未来を心配しても仕方がない。今現在をどう生きていくかじゃないかと考えられるようになり、自分に少し余裕が持てるようになりました」
胡麻さんは考え方を改め、自分に余裕が持てるようになったことで、
・日常を普通に送れることに感謝できるようになった
・他人に優しく(寛容に)なった
・嫌っていた母親に優しく接することができるようになった
・ストレスを受けても癒す時間を作ることができるようになった
という。
「正直、親の介護にやりがいはありませんでした。お金をもらうならやりがいも出るでしょうけれど、両親の介護はボランティア状態。まして私は、両親が嫌いでした。手をあげてしまったことはありませんが、転倒をしては骨折を繰り返していたので、雪かきとか、危ないことをしようとした時は叱りました。でも、約8年間父の介護をして看取り、死後直後に介護士さんと一緒に父をお風呂に入れ、全身を洗ってあげた時は、苦しんだ顔が柔らかな顔になっていくのを見届けられ、満足と申しましょうか。なんとも表現できない気持ちになりました」
両親の介護に関して、4つ上の兄は頼りにならなかった。
「兄が両親の介護をしないことについては不公平感を強く感じました。でも私は離婚して出戻って住まわせてもらっている。罪悪感から文句は言えませんでした。コロナ禍で海外赴任が見合わせになった兄が東京で単身赴任中に父の限界がきて、胃ろうか看取りか相談した時、約8年ぶりに帰ってきて、やっと向き合ってくれました。父は生前に医療保険も死亡保険も解約していて再度保険をかけることができず、私も貯金があまりなかったので、父の入院費用をお願いしたら、払ってくれました」
父親逝去から半年後、兄は海外に赴任した。
困った時は、医療従事者となった次女とケアマネジャーに相談し、メンタルケアとしては、年が近く、胡麻さんの家庭の事情を知っている従姉妹に愚痴を聞いてもらった。
「ゼロからの子育てよりも、いろいろ経験している大人を介護するのは大変です。1人で抱え込むのではなく、地域や行政に相談して、自分ファーストが大切だと私は思います。また、身内でお互いに協力し、カバーし合えるなら良いのですが、意見の相違で関係性にヒビが入ることもあるので、よく話し合うことが先決だと思います」
今後は働ける限り働き、再び自分の家を手に入れ、そこを拠点に子育て支援をするのが夢だという。
「1階が子ども食堂、2階が居住スペースで、共働きで子育て中の若い夫婦が、『ちょっと子どもを預かってほしい』と寄れる、そんな場所を作りたい。将来、孫ができた時に『婆ちゃん家行く?』と気兼ねなくきてくつろげる場所にできたらと思います」
現在、胡麻さんの母親は83歳で要介護2だ。
「今の状態でも施設入所は可能だと思いますが、本人の意思を尊重したいと思っています。本当は、入所してくれたら私も安心なのですが、母の性格上、まだ無理だと思います。母の主治医は、『お母さんは外面を気にするし頑固だから、大腿骨骨折とか内臓疾患などで入院して、思うように体が動かないと本人が理解できたら、その時が入所のチャンスかもしれない。娘さんは自分の人生を』と言ってくれます」
育った家庭環境のせいで頑張りすぎてしまう胡麻さんだが、自分を大切にすることができるようになった今なら、休み、癒やしながら、夢を叶えることができるかもしれない。